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701 倫理2節 近代思想の展開

問題・テスト資料

プリント資料

  • [2015倫理ITサブノート]社会契約説
    2015年07月06日
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    [2015倫理ITサブノート]社会契約説

    2015年度版「倫理」 IT 授業サブ・ノート(新課程『倫理』[2東書・倫理306]に対応)より。自己保存/闘争状態/生命・自由・財産/抵抗権(革命権)/一般意志/自然に帰れ/直接民主制/人民主権/宗教的寛容などを中心に扱います。(教科書p.130-133)(初版2013年6月,第2版2014年6月,2015年度版2015年7月)

    福岡市立福翔高等学校 河村敬一,福岡県立宗像高等学校 國松勲

  • (No.21)民主政治の成立[サブ・ノート]
    2016年11月09日
    • 授業プリント・ワークシート
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    (No.21)民主政治の成立[サブ・ノート]

    2016年度版 「現代社会」IT授業サブ・ノート(國松勲・河村敬一 著)より。東京書籍の教科書『現代社会』(2東書・現社301)に対応。毎時間の授業に役立つ内容となっています。授業プリントやワークシートとしてご活用いただけます。

    福岡県立宗像高等学校 國松 勲,福岡市立福翔高等学校 河村 敬一

  • (No.22)基本的人権の確立(Ⅰ)[サブ・ノート]
    2016年11月09日
    • 授業プリント・ワークシート
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    (No.22)基本的人権の確立(Ⅰ)[サブ・ノート]

    2016年度版 「現代社会」IT授業サブ・ノート(國松勲・河村敬一 著)より。東京書籍の教科書『現代社会』(2東書・現社301)に対応。毎時間の授業に役立つ内容となっています。授業プリントやワークシートとしてご活用いただけます。

    福岡県立宗像高等学校 國松 勲,福岡市立福翔高等学校 河村 敬一

  • [2015倫理ITサブノート]合理的精神の確立・モラリストたち,経験論と合理論
    2015年07月06日
    • 授業プリント・ワークシート
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    [2015倫理ITサブノート]合理的精神の確立・モラリストたち,経験論と合理論

    2015年度版「倫理」 IT 授業サブ・ノート(新課程『倫理』[2東書・倫理306]に対応)より。科学革命/地動説/知は力/イドラ/帰納法/方法的懐疑/われ思う,ゆえにわれあり/演繹法,われ何を知るか/繊細の精神/生得観念/タブラ・ラサ/知覚の束/神即自然/汎神論/モナド(単子)などを中心に扱います。(教科書p.123-127,p.127-129)(初版2013年6月,第2版2014年6月,2015年度版2015年7月)

    福岡市立福翔高等学校 河村敬一,福岡県立宗像高等学校 國松勲

  • (No.15)近代科学の考え方[サブ・ノート]
    2016年11月09日
    • 授業プリント・ワークシート
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    (No.15)近代科学の考え方[サブ・ノート]

    2016年度版 「現代社会」IT授業サブ・ノート(國松勲・河村敬一 著)より。東京書籍の教科書『現代社会』(2東書・現社301)に対応。毎時間の授業に役立つ内容となっています。授業プリントやワークシートとしてご活用いただけます。

    福岡県立宗像高等学校 國松 勲,福岡市立福翔高等学校 河村 敬一

  • デカルト(物理学者)
    2003年06月03日
    • 物理
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    デカルト(物理学者)

    デカルト(物理学者)東京書籍作成Ren du Perron Descartesフランス,1596-1650科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。

    東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司

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