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[熊本県写真資料]加藤清正像(2)、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本城の入り口にある加藤清正公像です。加藤清正は熊本城を1601年に着工し7年かけて築きました。加藤清正(1562-1611)は、尾張国愛知郡中村の出身で、豊臣秀吉に仕え、1588年肥後半国と熊本城を給されました。その後、文禄の役(1592)、慶長の役(1597)で朝鮮に出陣。関ヶ原の戦い(1600)では、東軍徳川側に味方しました。戦後、徳川家康から肥後一国を与えられました。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[熊本県写真資料]加藤清正公石碑、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。石碑には、「日本三大名城の一つに数えられる熊本城を築いた須藤清正は、天正16年(1588)肥後半国の領主として隈本城に入り関ヶ原の戦い後、肥後54万石の大名となる。この間、熊本城の築城に着手し慶長12年(1607)完成させたといわれ、隈本を熊本と改名した。土木、治水をはじめ城下町の形成に力を注ぎ、現在の熊本市発展の基礎を築いた。今でも『清正公(せいしょこ)』さんと親しまれ、多くの人々の崇敬を集めている。」と記載されている。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[熊本県写真資料]熊本城の石垣、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。日本三名城の一つといわれる熊本城の石垣。加藤清正が幾多の実践の経験を生かし1601年から7年かけて完成させたといわれる。石垣の石材は坪井川の西方の山々から切り出され運ばれたもの。ふぞろいの石を積み上げながらその間に込石(こめいし)を入れて強固にしていくという独特の工法がとられている。現在の天守閣は1960(昭和35)年に再建されたもの。
岐阜県各務原市 吉田範雄
撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本城の入り口にある加藤清正公像です。加藤清正は熊本城を1601年に着工し7年かけて築きました。熊本城は、もともと豊臣秀吉の九州統一により、その家臣加藤清正が熊本統一の拠点として築城したものです。しかし加藤家の治世は徳川氏との関係で2代44年しか続きませんでした。その後は細川忠利が引き継ぎ、細川家は1871(明治4)年まで11代239年間、熊本城主として君臨しました。
岐阜県各務原市 吉田範雄
撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。西南戦争1877(明治10)年2月、西郷隆盛を中心とする薩摩軍(鹿児島士族)が明治政府に対して反乱をおこし、熊本鎮台のあった熊本城を包囲した。熊本城は薩摩軍の猛攻に持ちこたえたが、熊本は多大な被害をうけた。
岐阜県各務原市 吉田範雄
撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本城内に残る西南戦争の史跡。「西南戦争の際に熊本城に籠城した鎮台側の将校の妻子が弾丸の飛来を避けるため、この空堀の中に天幕を張って避難した。時は2月、寒気の厳しい中で司令長官谷少将夫人久万子を中心に負傷者の手当や慰問に努め、将校の信望を集めた。」と記載されています。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[熊本県写真資料]阿蘇 中岳火口(1)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。阿蘇山中岳の噴火口のようす。中岳の噴火口は7つの火口がありますが、現在活動を続けているのはみの第一火口のみ。昭和7~8年ごろの活動では、第一、第二、第四の火口から噴火していたので、今後もまた第一火口以外のの火口から噴火する可能性があると考えられています。
東書Eネット事務局
[熊本県写真資料]阿蘇 中岳火口(2)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。阿蘇の中で現在も活発に噴煙を上げ続ける中岳噴火口のようす。岩石は流紋岩質、玄武岩質のものが見られる。
東書Eネット事務局
[熊本県写真資料]阿蘇 中岳火口(3)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。中岳の噴火口は7つの火口がありますが、現在活動を続けているのはみの第一火口のみで、写真は活動していない火口のようす。
東書Eネット事務局
[熊本県写真資料]阿蘇 中岳火口付近の景観(1)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。「阿蘇山」とは地域の名称で、カルデラとその周辺の外輪部および中央か火口丘群を総称して「阿蘇山」と呼んでいる。阿蘇のカルデラは、東西約18 km、南北約25km、周囲90km、火口原の面積約380平方km(JR山手線で囲まれた面積の6倍の広さ)で、世界最大級のカルデラです。写真は中岳火口付近のようすで、コンクリートの低い建物は退避壕です。
東書Eネット事務局
[熊本県写真資料]阿蘇 中岳火口付近の景観(2)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。中岳火口付近の岩肌のようすです。中央火口丘群の岩石は、流紋岩質のものから玄武岩質のものまで見られます。1つの火山地域でこのように広い組成にわたるマグマを噴出させるのは地質学的に珍しいことだそうです。
東書Eネット事務局
[熊本県写真資料]阿蘇 烏帽子岳、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。烏帽子岳(えぼしだけ1337m)は、阿蘇カルデラのなかでは比較的古い火山。山の形が鋭い切り込みのようにみられるのは、雨風の侵食の跡です。写真中央の建物は阿蘇山上神社など阿蘇山上の建物です。
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[熊本県写真資料]阿蘇 草千里ケ浜(1)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。阿蘇火山博物館前から見た草千里ケ浜の景観です。草千里ケ浜は浅くて広い皿のような形の、直径約1kmの火口跡です。写真の馬は観光乗馬。
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[熊本県写真資料]阿蘇 草千里ケ浜(2)、撮影年月日:2002年10月11日、撮影場所:熊本県阿蘇くじゅう国立公園(阿蘇地域)。阿蘇火山博物館前から見た草千里ケ浜の景観です。草千里ケ浜は浅くて広い皿のような形の、直径約1kmの火口跡です。写真の噴煙は中岳の火口からあがっているものです。
東書Eネット事務局
撮影年月:2000年4月、撮影場所:長崎県長崎市。原爆は、長崎の町をそれて、当時は郊外であり日本で最もキリスト教の盛んな地区である浦上地区に落下した。東洋一といわれた浦上天主堂の向いの丘に、平和祈念像が置かれる平和公園がある。少し離れた原爆落下中心地は松山公園である。高さ十mの平和祈念像は郷土出身の彫刻家北村西望氏の作品であり、平和を願う長崎市民のシンボルである。
東書Eネット事務局
撮影年月:2000年4月、撮影場所:長崎県長崎市。原爆は、長崎の町をそれて、当時は郊外であり日本で最もキリスト教の盛んな地区である浦上地区に落下した。東洋一といわれた浦上天主堂の向いの丘に、平和祈念像が置かれる平和公園がある。少し離れた原爆落下中心地は松山公園である。高さ十mの平和祈念像は郷土出身の彫刻家北村西望氏の作品であり、平和を願う長崎市民のシンボルである。
東書Eネット事務局
[沖縄県]ティンダハナタ、撮影年月:1996年07月、撮影場所:与那国島・祖納。日本最西端の島・与那国島は東西に細長い島ですが、一部を除き、島は断崖絶壁に囲まれています。島の北側で自然の展望台となっているのがティンダハナタです。祖納集落の背後にある標高70mの展望地です。ちなみに島の最高峰は宇良部岳231m。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[沖縄県]ペルリ提督上陸の碑と外人墓地、撮影年月:2001年05月4日、撮影場所:沖縄県那覇市。かのペルリ提督上陸の碑と、その隣にある外人墓地です。泊港のすぐそばにあります。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[沖縄県]マングローブのタコ足状気根、撮影年月:1996年07月、撮影場所:西表島・浦内川の河岸。西表島の河川の大部分は汽水域で、河岸はマングローブ(ヒルギ類)に覆われています。マングローブは潮汐によって海水に浸かる森林植生をさす総称であり、特定の種名ではありません。植物は根でも呼吸していますが、干潮時に酸素を取り込んでおく必要があり、写真のようなタコ足状の根に発達したものと見られます。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]マングローブの膝状気根、撮影年月:1996年07月、撮影場所:西表島・浦内川の河岸。西表島の河川の大部分は汽水域で、河岸はマングローブ(ヒルギ類)に覆われています。マングローブは潮汐によって海水に浸かる森林植生をさす総称であり、特定の種名ではありません。植物は根でも呼吸していますが、干潮時に酸素を取り込んでおく必要があり、写真のような膝状の根に発達したものと見られます。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]ヤエヤマヤシ、撮影年月:1996年07月、撮影場所:西表島・浦内川の河岸。危急種 Satakentia liukiuensis (Hatusima) H. E. Moore。八重山諸島の固有属で、単型属。近縁な属はミクロネシアやニューギニアのノヤシ属 Gulubiaで、これは台湾やフィリピンに分布しておらず、琉球列島の植物相の成立を知る上で貴重である。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]古見のサキシマスオウノキ、撮影年月:1996年07月、撮影場所:西表島・古見のサキシマスオウノキ群落。国指定文化財 特別天然記念物。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]宮良殿内(みやらドゥンチ)、撮影年月:1996年07月、撮影場所:石垣市大川・石垣港から徒歩10分。王府時代の建造物。l8l9年八重山頭職の宮良当演時代に、首里の貴族屋敷を真似て建造されたといわれています。国指定重要文化財。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]東崎(あがりざき)の灯台、撮影年月:1996年07月、撮影場所:与那国島・東崎(あがりざき) 付近。島の北東端にある灯台です。東シナ海と太平洋が一望できる場所にあります。ちなみに、日本最西端にある西崎はイリザキと読みます。太陽があがる東と入る西からの読みです。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]東牧場のヨナグニウマ、撮影年月:1996年07月、撮影場所:与那国島・東崎(あがりざき) 付近。島の東端、東牧場でのびのびと放牧されているヨナグニウマです。温厚で忍耐強く、人に懐きやすい性質で、かつては運搬用・馬耕用として活躍しました。小柄なポニーです。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]浦内川のサキシマスオウノキ、撮影年月:1996年07月、撮影場所:西表島・浦内川でカヌーの上から撮影。アオギリ科の植物。マングロ-ブ林の周辺に生育する常緑の高木で、東南アジア、ポリネシア、アフリカに分布し、日本では奄美大島以南の南西諸島に見られます。この木は、地下にほとんど根を張らず、板根だけで本体を支えています。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]浦内川河口干潟、撮影年月:1996年07月。撮影場所:西表島・浦内川観光遊覧船のりば付近。西表島には大小の河川がありますが、写真は2大河川の一つ浦内川の下流域です。干潮になると干潟が露出します。島ではスコールという短く強い雨が頻繁に降りますが、晴れ間に虹が現われたところを撮影しました。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]浦野墓地群、撮影年月:1996年07月、撮影場所:与那国島・浦野。沖縄では大きな墓をつくります。代表的なものが亀甲墓です。与那国島では浦野地区に墓地群があり、豪華なお墓が集まっています。虹がかかったときに撮影できました。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[沖縄県]竹富島全景、撮影年月:1996年07月、撮影場所:石垣島から与那国島へ向かう飛行機の窓から撮影。竹富島は石垣島から船で15分の小さな島で、赤瓦と珊瑚の塀の伝統的民家が多く、道路は珊瑚の白砂が敷かれています。島は美しい珊瑚礁の海に囲まれています。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[鹿児島県]かるかん饅頭、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島市内。普通の饅頭とは異なり、生地の中に山芋を含んでいます。しっとりして独特の食感があります。江戸末期に餡入りの「かるかん饅頭」を食したという記録があります。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]きびなご、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市内。きびなごはウルメイワシ科の外洋性の小魚で、体長約10cmで体に銀白色の帯があります。本州中部以南に分布。刺身や天ぷら、塩焼きなどに使われます。写真は刺身で、鹿児島の郷土料理として有名です。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]カナリーヤシ、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市内。ヤシ科の常緑樹です。カナリア諸島原産で、現地では10メートル以上になります。日本では街路樹、庭木と植えられるほか、観葉植物として鉢植えにもされます。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]シコンノボタン、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市内。ブラジル原産のノボタン科の常緑低木です。高さ約1メートル、葉は楕円形で、縦に走る葉脈が目立ちます。寒さには比較的強いので、暖地では冬でも屋外で育てることができます。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]ツルの飛来地、出水(いずみ)、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県出水市。世界一のツルの飛来地出水には、毎年10月中旬ごろから越冬のためにシベリアから1万羽を越すツルが飛来します。飛来のピークは12月下旬になります。冬を過ごしたツルは2月中旬から3月下旬ごろにシベリアに向けて帰っていきます。国から「特別天然記念物-鹿児島県のツルおよび飛来地」として指定されています。写真1:ツルのねぐらは、和泉市の北西部の荒崎田んぼと高尾野町下水流の出水東干拓にあります。ねぐらや給餌場として借り上げられた田んぼではたくさんのツルを見ることができます。また出水市、高尾野町、野田町の田んぼや畑で餌をとるツルの家族が見られます。写真2:ツルの種類としては、ナベヅルとマナヅルが主で、その他クロヅル、カナダヅル、ソデグロヅル、アネハヅル、タンチョウヅルの7種類が今までに確認されていますが、タンチョウヅルは近年飛来していません。写真3:ツルの保護のために、係りの人が朝早くから餌をまいています。えさとしては、もみ、はだか麦、小麦、さつまいも、あわ、そば、ハゼ、ドジョウ、タニシ、ミミズなどです。写真4:出水市では、ツル博物館「クレインパークいずみ」を建設して「ツルと人との存在するまちづくり」を目指しています。また「ツル観察センター」があり、間近にツルの生態を見ることができます。
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[鹿児島県]ナベヅル、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県出水市。首が白く、からだは灰黒色、額に黒と赤い肌が見える小柄のツルです。出水に最も多く飛来するツルです。穀類、虫などを餌とします。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]マナヅル、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県出水市。背と腹が灰色で、足が暗赤色で、目の周りが赤く、全長1.2メートル、ナベヅルより少し大きいツルです。出水に多く飛来するツルのうちの一種です。穀類、虫などを餌とします。
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[鹿児島県]リュウゼツラン、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市内。リュウゼツラン科の常緑多年草で狭義には葉に斑入りの種をいいます。葉は長さ1~2メートル、へりに針のようなとげが並び、先端は尖っています。まれに6~9メートルの花茎を出し、花を多数つけると株は枯死します。
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[鹿児島県]両棒(じゃんぼ)餅、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市内。鹿児島に昔から伝わる郷土菓子のひとつです。餅に二本の串が刺してあり、醤油だれ、もしくは味噌だれで食す。「じゃんぼ」という名前の由来は、餅に二本の串が刺してあるところから、中国語の「りゃんぼう」が鹿児島訛りになったものといわれています。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]冠嶽園(かんがくえん)、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県串木野市。薬草の宝庫でもある山岳仏教の名山「冠岳」に、秦の始皇帝の不老長寿の妙薬を探せという命を受けた徐福が渡来し、この景色の素晴らしさに冠を解いて捧げたという伝説からこの名が付きました。冠岳の縮景と徐福伝説を基に庭園が構成されています。中国とゆかりの深い地であることから、友好関係を深めたいとの願いからつくられた中国式庭園です。
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[鹿児島県]千尋巌(せんじんがん)、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市仙巌園。巨大な岩石に刻まれた11メートルにも及ぶ「千尋巌」の大文字は、27代島津斉興(なりおき)が1814(文化11)年に完成させたものです。これを刻むために約3900人と3か月もの日数を要しました。このような作庭方法は、日本庭園では大変珍しく、中国文化の影響を受けていると思われます。御殿の裏山の岩肌に刻まれています。
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[鹿児島県]名物「白熊」で有名な店、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市中心部。鹿児島名物の一つである「白熊」とは、実はかき氷のことです。ここでは、夏だけにとどまらず、年中「白熊」が食べられるとのことです。なぜ「白熊」かといえば、かき氷の飾り付けが、白熊の顔に似ているからだそうです。そのため、店の前には白熊の飾りがあり、一目でわかるようになっています。昔は、かき氷に練乳をかけ、レーズンをのせたものが白い熊に見えたそうですが、今は飾りが派手になっています。
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[鹿児島県]大久保利通像、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市内。明治草創期の指導的政治家、大久保利通は1830(天保元)年鹿児島市に生まれました。藩政の改革に手腕をふるい、薩英戦争後は、開国に目覚め、西郷隆盛とともに、明治維新を達成しました。新政府樹立後は版籍奉還・廃藩置県を断行し、政界の中心人物として活躍しました。しかし、内治優先の立場をとったため、1878(明治11)年不平士族により、暗殺されました。
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[鹿児島県]天文館アーケード付近、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市中心部。江戸時代後期、当時の薩摩藩主島津重豪(しげひで)によって造られた、天文観測や暦の作成を行う施設、明時館、別名天文館がこの辺一帯の地名の由来でとなっています。現在は天文館は残っていません。この写真で中央の通りが、天文館アーケードで、このアーケードの市役所側に天文館跡の碑があります。
東書Eネット事務局
[鹿児島県]天文館跡の碑、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市中心部。島津氏第25代重豪(しげひで)が天文観測や研究のため、1779(安永8)年にここに明時館を建てました。藩内の暦はすべてこの明時館から配布され、薩摩暦とか鹿児島暦といわれました。明時館は、別名天文館とも呼ばれ、現在の繁華街天文館の名は、ここから由来しています。この付近は石垣をめぐらした武家屋敷や、迎賓館などがありました。
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[鹿児島県]日本石油喜入基地、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島県喜入町。世界最大の石油備蓄基地です。1969(昭和44)年に操業を開始し、現在すべてのタンク(56基)を合計すると、730万キロリットルの貯油能力を持っている。中東をはじめ世界各国から運ばれてきた原油はここを経由して、各地の精油所へ運ばれていきます。
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[鹿児島県]林芙美子文学碑、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市桜島。小説「放浪記」「浮雲」で知られる作家林芙美子の文学碑です。母の出身地である桜島の古里町にあります。扶美子は下関で生まれましたが、彼女にとっての郷里は、母の郷里、鹿児島でした。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と碑に刻まれています。
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[鹿児島県]武家屋敷通り、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島県知覧町。250年余り前につくられた知覧武家屋敷群は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっていて、中世の知覧城跡を母体として成り立っています。通りは、藩政時代鹿児島への往来に使われた街道で、通り沿いの屋敷はみな石垣と生け垣で囲まれています。7つある庭園も国の名勝に指定されるほど素晴らしく、薩摩の小京都と呼ばれています。1つの築山泉水式庭園と6つの枯山山水式庭園からなっています。写真1:写真は江戸時代に鹿児島への往来に使われた街道で、通り沿いには石垣とイヌマキの刈り込みによる生け垣が700mにわたって続いています。写真2:写真の武家屋敷通りでは、歴史的建造物や景観の保全をはかるために、電柱の移転や排水施設の地下埋設が行われています。写真3:写真は武家屋敷庭園で、イヌマキの刈り込みと巨岩が組み合わせられています。
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[鹿児島県]武家屋敷(知覧型二ッ家)、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島県知覧町。鹿児島に独特だといわれる二ッ家の中で、特に知覧だけにみられるものです。二つの屋根の間に小棟をおいてつなぎとした造りで、民家建築文化史のうえからも貴重なものとされています。武家屋敷群の中に2棟が移築されています。
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[鹿児島県]港にあった看板、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県出水市。この近辺は隣国との国境も近く、海に面しているため、密輸入や密入国に注意せよとの看板が見られました。他の地域では、そんなに見かけることはありません。
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[鹿児島県]溶岩プレート、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市桜島。鉄板の代わりに焼き肉などの加熱用に桜島の溶岩を切り出したものです。桜島のそこここにある溶岩の特性を活かした産物です。
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[鹿児島県]焼酎の蒸留装置、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県市来町。焼酎は、芋や穀類を蒸留して造られます。鹿児島県はサツマイモの生産が日本一であるため、当然、酒造りと言えば、芋焼酎です。この工場では、瓶(かめ)仕込みから木樽蒸留、素焼きの甕(かめ)貯蔵という昔ながらの工程で焼酎を造っています。この写真は発酵した溶液を蒸留してアルコール分を取り出すための装置です。
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[鹿児島県]焼酎の製造工程(模型)、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県市来町。薩摩焼酎の昔の製造工程を模型で現したものです。今でも米蒸し、麹造り、一次仕込み、二次仕込み、蒸留、貯蔵・熟成という造り方は、基本的に変わっていません。
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[鹿児島県]焼酎製造の様子、撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県市来町。焼酎は、芋や穀類を蒸留して造られますが、鹿児島県はサツマイモの生産が日本一であるため、当然、酒造りと言えば、芋焼酎です。この工場では、瓶(かめ)仕込みから木樽蒸留、素焼きの甕(かめ)貯蔵という昔ながらの工程で焼酎を造っています。この写真は、サツマイモを加え、二次仕込みをしている様子です。投入して間がないため、あまり激しく発酵していません。
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[鹿児島県]照國神社、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市城山。照国神社は、島津氏第28代島津斉彬を祭神としています。7年という短い治世にもかかわらず、積極的に西洋文明を導入し、薩摩や日本の近代化に貢献し、また明治維新に活躍した多くの人材を育成しました。斉彬公をたたえ、勅命により照國大明神の神号が授けられました。
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撮影年月:2001年11月25日、撮影場所:鹿児島県串木野市。貴金属である金は鉱石中に単体で存在し比重がきわめて重いのです。そのため金を単離する場合、水中で砂と金の混じった混合物をゆっくりと洗い、徐々に比較的比重の軽い砂を追い出していきます。
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[鹿児島県]示現(じげん)流兵法所、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市中心部。写真1:示現流兵法は、昭和初期まで門外不出だった薩摩藩公認の兵法で、今日においても鹿児島県の精神文化に強い影響を与えています。現存する古武道の中で、創流当時の姿が正確に伝承されている貴重な古武道です。示現流の特徴は、一太刀の激しい攻撃がそのまま防御を兼ね、機先を制すところにあります。この写真は、史料館及び道場の外観です。史料館には、奥義の古文書、刀剣、稽古に使うユスの木の木刀などが展示されています。写真2:この写真は、示現流の道場を写したものです。道場奥には重い木刀で打ちこむための立木があります。
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[鹿児島県]薩摩義士碑、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市城山。1753(宝暦3)年、幕府は薩摩藩に濃尾平野に合流する木曽・長良・揖斐の3河川の治水工事を命じ、これに対し、藩は約1000名を派遣しました。しかし、治水工事は困難を極め、大量の犠牲者と負債を出しました。総奉行に任じられた家老の平田靱負(ゆきえ)は責任を取り、自刃して果てました。1920(大正9)年、それまで幕府に遠慮して、公表しなかった偉業を、慰霊碑を建て、義士としてたたえました。
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[鹿児島県]西鹿児島駅、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:西鹿児島駅。西鹿児島駅は鹿児島市の中央駅となっています。鹿児島駅は市街地の北にありますが、主要列車はすべて西鹿児島が起点となっています。西鹿児島駅の駅舎の上部にはすでに新幹線用ホームが準備されており、2012年ころには福岡市博多と結ばれる予定になっています。
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[鹿児島県]酸性の雨で傷んだ銅像、撮影年月:2001年11月23日、撮影場所:鹿児島市中心部。鹿児島市は近くに活火山(桜島)があり、硫黄酸化物など強い酸性を示す物質が雨に混ざって降ることがあります。このため、銅像などは酸化されて傷みが激しくなっています。写真は西鹿児島駅前にある「若き薩摩の群像」です。
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[鹿児島県]黒神埋没鳥居、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市桜島。1914(大正3)年の桜島の大噴火で、高さ3メートルあった原五社の鳥居が笠木だけ残して埋没しました。これは爆発の猛威を後世に伝えることができるとして、当時の村長は発掘を中止させ、そのままの形をとどめました。現在は文化財に指定されています。
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[鹿児島県]黒糖の製造装置、撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市内。サトウキビの茎を煮詰めて黒糖をつくります。この装置はこの茎に含まれる液体を、牛馬に曳かせて搾り取るために使われていました。こうして取り出した液体に石灰を加え、火にかけて煮つめてできるのが黒砂糖です。黒砂糖が島津藩で生産されたのは1692(元禄5)年ころからです。
東書Eネット事務局
撮影年月:2000年10月15日、撮影者:木村裕保。大分県国東半島の先端、国見町岩倉八幡社で毎年10月14日にケベス祭が行われます。写真はケベス祭の翌朝に行われる奉納獅子舞の様子です。ケベスとは「蹴火須」のなまったものといわれますが、起源や由来が謎につつまれた火祭りです。
愛知県 木村裕保
中学校社会-教室の窓Vol.6(2006年1月発行)より。[写真で見る社会]九州国立博物館のめざすもの、橋本雄(九州国立博物館研究員)。2005年秋10月16日、福岡県太宰府市に、独立行政法人国立博物館・九州国立博物館(略称:九博)がオープンした。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」という大それたテーマの博物館である。そもそも、なぜこの地に上記のテーマの九州国立博物館が設置されたのだろうか。それは、九州の地が、アジアや世界との交流の玄関口であったからにほかならない。テーマがら九州の文化財を展示することも少なくないが、北海道であろうと関東であろうと、文化交流に関わるものはすべて展示する意気込みだ。実際、地元九州の方々には珍しいのか、アイヌ民族資料の展示ケースは、いつも人だかりである。沖縄(琉球)も含めて、日本の「境界」をまたぐ文化も、九博展示の大切なターゲットと考えている。
九州国立博物館研究員 橋本雄
[熊本県写真資料]熊本市の市電(路面電車)(1)、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本市内を走る市電(路面電車)のようすです。市電の開通は、1924(大正13年)8月1日。環境問題やエネルギー問題から、路面電車やバスの利用が見直されているにもかかわらず、電車・バスの利用者は全国的に減少しているのが現状です。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[熊本県写真資料]熊本市の市電(路面電車)(2)、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本市内を走る市電(路面電車)のようすです。市電の開通は、1924(大正13年)8月1日。環境問題やエネルギー問題から、路面電車やバスの利用が見直されているにもかかわらず、電車・バスの利用者は全国的に減少しているのが現状です。
岐阜県各務原市 吉田範雄
[熊本県写真資料]熊本市の市電(路面電車)(3)、撮影年月日:2002年10月10日、撮影場所:熊本県熊本市。熊本市内を走る市電(路面電車)のようすです。市電の開通は、1924(大正13年)8月1日。環境問題やエネルギー問題から、路面電車やバスの利用が見直されているにもかかわらず、電車・バスの利用者は全国的に減少しているのが現状です。
岐阜県各務原市 吉田範雄
本明川河口の干潟、撮影年月:1990年4月、撮影者:山川続[長崎県西彼中学校]、撮影場所:諫早湾。諫早市本明川の河口から諫早湾にかけては広い干潟が発達しています。干満の差が大きく最大6mにも達し、干潮時に干潟に多くの生物を見つけることができました。干潟の土は「がた土」と呼ばれ、16mm以下の細かい泥でできています。
長崎県西彼中学校 山川続
撮影場所:佐賀県鎮西町名護屋。全国統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を企てる。その前線基地を肥前国名護屋(現在の佐賀県鎮西町名護屋)に置き、巨大な城を築く。現在は、当時大坂城に次ぐ規模の大きさを誇った城跡と、徳川家康や伊達政宗など全国の大名120ヶ所の陣跡が確認されている。なお、隣接する佐賀県立名護屋城博物館には、城跡から出土した黄金の屋根瓦や茶器などの展示、文禄・慶長の役をはじめとした日本と朝鮮半島との交流史をテーマとした展示がなされている。
佐賀県伊万里市青嶺中学校 塩谷北海
撮影場所:佐賀県鎮西町名護屋。全国統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を企てる。その前線基地を肥前国名護屋(現在の佐賀県鎮西町名護屋)に置き、巨大な城を築く。現在は、当時大坂城に次ぐ規模の大きさを誇った城跡と、徳川家康や伊達政宗など全国の大名120カ所の陣跡が確認されている。なお、隣接する佐賀県立名護屋城博物館には、城跡から出土した黄金の屋根瓦や茶器などの展示、文禄・慶長の役をはじめとした日本と朝鮮半島との交流史をテーマとした展示がなされている。
佐賀県伊万里市青嶺中学校 塩谷北海
撮影場所:佐賀県鎮西町名護屋。全国統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を企てる。その前線基地を肥前国名護屋(現在の佐賀県鎮西町名護屋)に置き、巨大な城を築く。現在は、当時大坂城に次ぐ規模の大きさを誇った城跡と、徳川家康や伊達政宗など全国の大名120カ所の陣跡が確認されている。なお、隣接する佐賀県立名護屋城博物館には、城跡から出土した黄金の屋根瓦や茶器などの展示、文禄・慶長の役をはじめとした日本と朝鮮半島との交流史をテーマとした展示がなされている。
佐賀県伊万里市青嶺中学校 塩谷北海
撮影場所:佐賀県鎮西町名護屋。全国統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵を企てる。その前線基地を肥前国名護屋(現在の佐賀県鎮西町名護屋)に置き、巨大な城を築く。現在は、当時大坂城に次ぐ規模の大きさを誇った城跡と、徳川家康や伊達政宗など全国の大名120カ所の陣跡が確認されている。なお、隣接する佐賀県立名護屋城博物館には、城跡から出土した黄金の屋根瓦や茶器などの展示、文禄・慶長の役をはじめとした日本と朝鮮半島との交流史をテーマとした展示がなされている。
佐賀県伊万里市青嶺中学校 塩谷北海
[沖縄県]なごみの塔、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。竹富島の町を一望できる展望台「なごみの塔」です。ぜひ登って美しい町を眺めてみてください。
東書Eネット事務局
[沖縄県]コンドイビーチ、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。珊瑚礁でできた竹富島の周囲の海は驚くほど澄んでいます。西桟橋からコンドイビーチを望んだところです。
東書Eネット事務局
[沖縄県]トックリヤシモドキ、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・由布島。熱帯・亜熱帯の海岸に多い植物トックリヤシモドキ(ヤシ科)です。トックリヤシによく似ていますが、トックリヤシでは下の部分が丸くなって全体が徳利型なのに対し、トックリヤシモドキは上の部分が丸くなって徳利型で下の方はまっすぐ円筒型です。
東書Eネット事務局
[沖縄県]ラムサール条約登録湿地の漫湖、撮影年月:2001年5月5日、撮影場所:沖縄県那覇市。ラムサール条約登録湿地の漫湖です。那覇市と豊見城村との間にあります。マングローブに覆われています。
東書Eネット事務局
[沖縄県]仲間川の滝、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県・西表島・仲間川上流。西表島の西部を流れる仲間川をカヌーで遡り、さらに熱帯林の中を上流に歩いていくと滝に行き着きます。滝壷は直径15メートルくらいで火照った身体を冷やすのにちょうどよい天然プールです。
東書Eネット事務局
[沖縄県]守禮門(守礼門)、撮影年月:2001年05月4日、撮影場所:沖縄県那覇市。首里城に通じる入り口にある「守禮門(守礼門)」です。新2000円札に描かれているものです。
東書Eネット事務局
[沖縄県]沖縄県の花「デイゴ」、撮影年月:2001年05月4日、撮影場所:沖縄県那覇市。沖縄県の花「デイゴ」です。この時期に咲いていてとても目立ちます。首里城公園で接近撮影したもの。
東書Eネット事務局
[沖縄県]泡瀬地区の干潟、撮影年月:2001年05月4日、撮影場所:沖縄県那覇市。中城湾港泡瀬地区の干潟です。行政区画は沖縄市になります。いま埋め立ての是非をめぐって話題になっている場所です。
東書Eネット事務局
[沖縄県]甌穴(おうけつ)、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県・西表島・西田川上流。西田川上流の段上の滝の岩盤の上に見られる甌穴の1つです。穴の中に複数の丸い岩が入っています。増水したときにこの穴の中で岩が回転し、穴を削ってより大きな穴になっていくのでしょう。
東書Eネット事務局
[沖縄県]竹富島の公共施設、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。竹富島の街並みは白い砂の道と赤い瓦が印象的です。公共施設も例外ではなく、町立小中学校・保育所も同様です。
東書Eネット事務局
[沖縄県]竹富港東桟橋、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。石垣島と結ぶ連絡船が発着する東桟橋です。船の発着時にはマイクロバスがやってきます。近くにはレンタサイクルもあります。
東書Eネット事務局
[沖縄県]竹富町の街並み、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。白砂の道に赤瓦の家。沖縄の街並みの原風景であると言われています。日中は強い日差しの中、照り返しもとてもまぶしく、観光客以外は出歩いていませんでした。一軒ごとに「シーサー」を観察しても面白いですよ。町内にはレンタサイクルや水牛車があります。
東書Eネット事務局
[沖縄県]米原のヤエヤマヤシ群落、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県・石垣島米原。石垣島と西表島にだけ自生する固有種のヤエヤマヤシ群落です。石垣島最高峰の於茂登岳(おもとだけ)の北東麓にあります。国の天然記念物に指定されていて、高さ20メートルほどの小ジャングルを登っていくと東シナ海を展望できます。
東書Eネット事務局
[沖縄県]美女安里屋(美女クヤマ)生誕の地、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。竹富町の代表的な民謡「安里屋(あさどや)ゆんた」に歌われる、聖女安里クヤマの生誕の地です。
東書Eネット事務局
[沖縄県]聖女安里クヤマの墓、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。竹富町の代表的な民謡「安里屋(あさどや)ゆんた」に歌われる聖女安里クヤマの墓です。
東書Eネット事務局
[沖縄県]西田川の滝、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県・西表島。西表島の北東側の小さな川・西田川をカヌーで遡り、しばらく歩くと辿りつきます。幅20メートルほどの岩の段になっています。岩盤に登ると甌穴(おうけつ)がたくさん見られます。
東書Eネット事務局
[沖縄県]赤瓦の集積場、撮影年月:2000年8月、撮影場所:沖縄県竹富町・竹富島。台風の通過が多いためでしょうか。いつでも大丈夫なように赤い屋根瓦が集積されていました。
東書Eネット事務局
[沖縄県]那覇ハーリー、撮影年月:2001年5月5日、撮影場所:沖縄県那覇市。毎年5月の連休に行われている「那覇ハーリー」の様子です。爬龍船(ハーリーまたはハーレー)によるボート競走です。
東書Eネット事務局
[福岡県]元寇防塁跡、撮影年月:2000年4月22日、撮影場所:福岡市早良区西南学院大学体育館前、撮影者:大神寿。玄界灘に面する史跡・元寇防塁は、建治2年(1276)時の鎌倉幕府執権北条時宗が、フビライ再度の襲来に備えて、文永の役(1274)直後箱崎より今津に到る海岸に築かせた石築地(防塁)である。高さ約3メートル、上面幅約2.5メートル、距離20キロに及ぶ大規模なもの。700年前の築造物が今なおその跡をとどめている点からも国史上、貴重な史跡といえる。昭和6年3月、国の重要文化財に指定された。
福岡県 大神寿
[福岡県]博多どんたく、撮影年月:2000年5月3日、撮影場所:福岡市博多区、撮影者:大神寿。福岡市で5月3・4日に行われる祭り。「どんたく」はオランダ語のzondag(日曜日)からきた語で、休日の意味。起源は室町時代京都に流行した松囃子で、博多では江戸時代に福神や恵比須、大黒に扮した者が、黒田藩主に年頭の祝いをのべた後、町を練り歩く風習になった。現在では市の港祭りの一つに統合されたが、昔どおりの練り物に市民が趣向をこらした、手踊り、仮装行列等が加わったパレードも見られる。
福岡県 大神寿
[福岡県]大宰府天満宮、撮影年月:2000年4月22日、撮影場所:太宰府市大宰府天満宮、撮影者:大神寿。福岡県太宰府市にある神社。菅原道真をまつる。大宰権帥に左遷された道真が、903年(延喜3)に大宰府で没すると、この地にほうむられ、905年には廟がたてられた。これが天満宮の起源という。現在はウメの名所、学問の神として、春の入試シーズンには参詣者が多い。曲水宴などの年中行事とともに、特殊な神事として、木製の鷽(うそ)を交換し合ううそ替え神事や鬼すべ(追儺)神事、更衣祭、神幸祭などがある。
福岡県 大神寿
[福岡県]板付遺跡、撮影年月:2000年4月22日、撮影場所:福岡市博多区板付遺跡、撮影者:大神寿。福岡市博多区にある縄文時代晩期から弥生時代前期にわたる日本最古の稲作集落遺跡。1867年の銅矛5本の出土に始まり、1978年の調査では、足跡や石包丁・農具類などと共に水田跡が発見され、全国的に有名になった。これは、水稲農耕の伝来を弥生時代の開始とする定説をくつがえす発見である。現在は国史跡となり、1992年市立板付遺跡弥生館が建設、水田が復元され毎年弥生米の栽培をしている。
福岡県 大神寿
最新「世界と日本の白地図」(5)<日本:都道府県>編(2021年11月版)より。本データは,最新の地図情報のもとに、高画質・高品質で作成しています。教材プリント作成やワークシート作成などで,自由に加工・編集してご利用いただけます。
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2004年2月11日、沖縄県今帰仁村(なきじんそん) 今帰仁城跡で撮影。沖縄では「かんひざくら(寒緋桜)」と呼ばれていますが、一般の国語辞典や植物図鑑などでは「ひかんざくら(緋寒桜)」とも名前を載せていたりします。
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最新「世界と日本の白地図」(4)<日本:周辺,地方別>編(2021年11月版)より。本データは,最新の地図情報のもとに、高画質・高品質で作成しています。教材プリント作成やワークシート作成などで,自由に加工・編集してご利用いただけます。
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