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チャールズ ロバート ダーウィン (Charles Robert Darwin),英国,1809-1882,科学者人物誌―生物。イギリスの大進化論者チャールズ・ダーウィンは,1809年2月12日にイングランド西部シルスベリに生まれた。リンカーンの誕生と同じ日である。父は開業医として成功しており,母は有名な陶器会社を創立したウェッジウッドの娘で,裕福な家庭であった。後にダーウィン自身もウェッジウッド家の出である従姉と結婚した。生物の進化論はダーウィン以前からだんだんに現われてきており,実は彼の祖父エラズマス・ダーウィンは進化論の先駆者の一人であった。チャールズの生まれた時には祖父はすでに亡く,遺著は家にあってチャールズはそれを読んだがあまり大きな影響は受けなかったという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
デカルト(物理学者)東京書籍作成Ren du Perron Descartesフランス,1596-1650科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
「世界史B」(2007-2013年度使用)教科書対応の授業用ノートです。授業プリントなどに加工してご利用いただけます。
京都府 大谷高等学校 熊木哲
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]青年イタリア サルディニア王国 カヴール 未回収のイタリア ドイツ関税同盟 フランクフルト ビスマルク 1871年 社会主義者鎮圧法 東方問題 クリミア戦争 ナイティンゲール アレクサンドル2世 ベルリン レントゲン キュリー夫妻 進化論 コッホ ダイナマイト エディソン
東京書籍(株) 社会編集部
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]啓蒙思想 ルソー フレンチ・インディアン戦争(七年戦争) 代表なくして課税なし ボストン茶会事件 ワシントン アメリカ独立宣言 ジェファソン パリ条約 三権分立 アンシャン・レジーム(旧体制) 国民議会 バスティーユ牢獄襲撃 封建的諸権利の廃止 人権宣言 立法議会 ジロンド派 国民公会
東京書籍(株) 社会編集部
タレーラン (1754~1838)は,ウィーン会議で正統主義を通して,ブルボン朝の復位と旧制度への復活をもくろみ,事実上革命前の状態にもどすことに成功した。彼は,メッテルニヒとともに,戦勝国の対立をたくみに利用し,敗戦国フランスを戦勝国並みに引き上げたのである。欧米における国民国家の形成・フランス革命とウィーン体制・ウィーン体制の成立。
山形中央高校 加藤亨