教科書の単元から資料を探すページです。
迫りくる地球温暖化、教室の窓「小学校・中学校理科No.11」2007年9月作成より。2つの画像は、北極海の海氷の1979年と2005年の最も少なくなった時のようすを比較したものです。2005年の方が海氷が少ないことが一目でわかります。北極海の海氷は、8月後半から9月頃が一年で一番小さくなるのですが、地球温暖化の影響でこの時期の海氷の面積が年々減少しているとのことです。
東京書籍(株) 理科編集部
中学校社会-教室の窓Vol.10 2007年4月発行より。1956年11月8日、多くの国民に見送られた南極観測船「宗谷」が東京晴海埠頭を出航した。「宗谷」がめざしたのは、南極大陸の中でも人跡未踏のプリンスハラルド海岸。どんな場所なのか、どれくらい寒いのか、どれくらいの風が吹くのか、すべてが未知の世界への旅立ちであった。第1次観測隊は、数々の苦難を乗り越えて、リュツオ・ホルム湾のオングル島に上陸を果たし、4棟の建物を建設して、翌年の1957年1月29日、その地域一帯を昭和基地と命名した。以後日本は昭和基地を拠点として観測の輪を拡げ、50年間にわたって南極での科学観測に力を注いできた。
国立極地研究所副所長 本吉洋一
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(1)、撮影年月:2001年3月26日03時頃、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。宿泊先のMt.Aurora Fairbanks Creek Campに到着してすぐに撮影準備にとりかかり、とりあえず駐車場から撮影したものです。北北西にカーテン状のオーロラが現れました。点として写っているのは星です。次第に雲が厚くなってきてしまい、04時にはすっかり見えなくなりました。オーロラの中の影は雲です。気温はマイナス8℃程度でした。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(2)、撮影年月:2001年3月27日02時頃、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。オーロラ観察適地とされるMt.Aurora Skilandのダウンヒル最上部のロッジです。日本人ばかりが集まっていました。幻惑をさけるため灯りは赤くしてあります。この晩は雲が晴れず、3時半頃まで頑張りましたがオーロラらしい光を見ることはできませんでした。明け方の気温はマイナス13℃程度でした。3月28日の夜も雲が晴れずオーロラを観ることはできませんでした。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(3)、撮影年月:2001年3月29日、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。23時半頃からそれまで全天を覆っていた雲が天頂付近から晴れてきました。西の空には三日月がありましたが雲に遮られています。はじめ北北東に明るい筋が見えましたが、月光が雲の縁で反射していたようです。30日00時頃から北の空にカーテン状のオーロラが出現しはじめました。はじめは視野角15度程度でしたが次第に規模が大きくなり、視野角60度位までに広がってきました。この写真はカーテンが発達し2重になったところです。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(4)、撮影年月:2001年3月30日01時半頃、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。オーロラは天頂付近に現れ、まるで光が降ってくるようです。肉眼でははっきりしませんでしたが、上部では赤く、放射状に延びた下部は緑色をしていることがわかります。中央に北斗七星が見えます。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(5)、撮影年月:2001年3月30日02時頃、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。カーテン状のオーロラを斜めから観る状態になりました。上部が赤く、下部が緑色をしていることがわかります。中央はカシオペア座でW字の形になっています。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉
[アメリカ]フェアバンクス・オーロラ観察(6)、撮影年月:2001年3月30日03時頃、撮影者:高野勉、撮影場所:アラスカ州フェアバンクス、Mount Aurora Fairbanks Creek Camp。カーテン状のオーロラが大きくうねっています。北北東の方角です。遠くを厚い雲が覆っています。このあと、雲が厚くなったり消えたりを繰り返しますが、明け方までオーロラの光は全天を激しく舞い、04時頃には全天を2重のリング状に覆いました。残念ながらフィルム交換ができなくなり撮影は3時半頃に断念しました。
東京書籍・ソフトウエア制作部 高野勉