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「肥前名護屋城図屏風」は狩野派の絵師狩野光信の作で、下絵あるいは写しといわれている。六曲一隻の屏風で、第三・四扇上部にある名護屋城には、五層の天守閣を中心に多くの御殿・数寄屋・櫓・門などが描かれており、当時では大坂城に次ぐ巨大な規模をもつ名護屋城の様子を詳細に描いている。その周囲の丘陵には、各大名の陣屋がひしめきあい、城下町では全国から集まった物資や人々で大変な賑わいをみせている。講和交渉のために訪れた明国の使節一行も描かれていることから、1593年(文禄2)年夏ごろの描写と考えられているが、一村落にすぎなかった名護屋が文禄・慶長の役によって繁栄を極めた様子を詳細に描くなど、名護屋城および軍事都市名護屋を知るうえで極めて貴重な資料である。ご注意:このPDFファイルのデータはセキュリティーがかかっていて、編集・加工・印刷は禁止になっています。閲覧専用です。資料説明は、佐賀県立名護屋城博物館総合案内による。写真は佐賀県立名護屋城博物館提供。
佐賀県立名護屋城博物館
ビロード・マント、安土・桃山時代。胡人・猿唐草文。ヨーロッパか中国からの舶来品。豊臣秀吉着用、寸法(センチメートル) 丈85.0 裄28.0 襟巾10.0 桐箱(前面ガラス)入、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
墨俣一夜城、昭和時代の作。山田秋衛筆、寸法40.0×52.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
大徳寺之焼香ニ秀吉諸将ヲ挫ク、明治22年~29年の作。楳堂小国政画、寸法34.7×70.0(センチメートル)(間判3枚続)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
太閤記山崎合戦之図、明治16年の作。楊洲周延画。版元 小林鉄次郎、寸法37.0×70.0(大錦3枚続)(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
新選太閤記故郷へ飾る錦の袂、明治17年4月の作。歌川豊宜画。版元 森本順三郎、寸法37.1×48.2(センチメートル)(大錦2枚続)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
木下秀吉等連署状、六月十日兼松又四郎他一名宛、「河野嶋之内弐拾弐貫文伏屋与次右衛門分四百四十文・・・」他一名は佐々平太。連署は丹羽五郎左、島田所助等。寸法27.5×41.2(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
清正朝鮮にて富士を望む、昭和時代の作。林雲鳳筆、寸法40.0×52.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
石山本願寺合戦、明治16年9月の作。一陽斎(4代)豊宜画。版元 小林鉄次郎、寸法37.0×72.4(センチメートル)(大錦3枚続)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
絵合太功記六大徳寺焼香、明治15年10月の作。2代長谷川貞信画。本安板。寸法37.6×25.4(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
織田信長判物、永禄九年十一月日兼松又四郎宛、「爲扶助兼松弥四郎名田■諸買徳誰々如何様之雖帯判形爲欠所申付上・・・」、寸法35.2×47.7(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
織田信長朱印状(1)、永禄十年十一月日兼松又四郎宛、「爲扶助河野之内拾貫文申付上全知行不可有相違・・」天下布武の朱印、所見のもの、寸法25.3×42.6(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
織田信長朱印状(2)、天正三年六月十一日兼松又四郎宛、「濃州長森長谷河甚兵衛分弐百貫文事令扶持了・・・」天下布武の朱印、寸法29.4×45.8(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
織田信長朱印状(3)、天正四年十月廿九日兼松又四郎宛、「江州知行在所一、林村一、竹輪寺・・・己上参拾五石右令扶持之?・・・」天下布武の朱印。寸法30.5×46.5(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
色々威二枚同具足・甲冑、安土・桃山時代。伝豊臣秀吉所用、寸法 胴高39.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
豊臣秀吉朱印状(1)、文禄四年八月八日兼松又四郎宛、「尾張国丹羽郡内薗村五百卅七石六斗一升・・・」、寸法46.5×66.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
足半、天正元年八月、刀根山の戦のとき、素足で殊勲をたてた兼松又四郎に、織田信長が与えたもの。書付四通、付箋三枚あり。寸法11.9×9.3(センチメートル)、モノクロ写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
長烏帽子形兜之図、江戸時代の作。菅惟清筆。天保7年自賛、寸法113.8×45.0(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
高台院(おね)画像、江戸前期の作。「寛文丙午仲夏初六日前南禅見僧録司竺隠叟崇五」賛、寸法117.5×51.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
高松城水攻之図、慶応3年6月の作。一魁斎芳年画。版元 山甚、寸法36.8×73.0(センチメートル)(大錦3枚続)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
鶴松画像、大正時代の作。桜井清香模写。原本 京都市妙心寺蔵、寸法65.0×35.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
日本地域図、銅版多色刷。一五九五年(文禄四)、アブラハム・オルテリウス刊、寸法38.0×50.0(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
火縄銃、江戸時代。銘「国友重光作」。梅竹雀文。飛騨高山代官所旧蔵、寸法 全長30.0 長さ100.5(センチメートル)、白黒写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
安宅船復元模型[1/10]。当時の日本水軍の軍船で、「肥前名護屋城図屏風」に描かれた三艘のうち最大のものを模型化した。同図に描かれたものは、織田信長の大安宅船の流れを汲み、秀吉の御座船「日本丸」の可能性もある。全長約38メートルで、実践的な総矢倉のうえに、城の櫓のような構造物を載せ、丹塗りの高欄を廻す華美なつくりは、戦闘機能に徹した亀甲船と対照的である。ご注意:このPDFファイルのデータはセキュリティーがかかっていて、編集・加工・印刷は禁止になっています。閲覧専用です。資料説明は、佐賀県立名護屋城博物館総合案内による。
佐賀県立名護屋城博物館
豊臣秀吉画像(1)、享保六年、豊臣秀三賛。藤原邦信(狩野随川)筆。寸法80.7×38.4(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
豊臣秀吉画像(3)、江戸後期の作。小田切春江模写。原本 京都市高台寺蔵、寸法82.2×27.6(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
豊臣秀吉画像(4)、昭和23年8月の作、山田秋衛模写。原本 一宮市妙興寺蔵、前妙心南化賛。狩野山楽筆、寸法111.5×52.3(センチメートル)、カラー写真、名古屋市秀吉清正記念館蔵。
名古屋市秀吉清正記念館
京都府大山崎町(おおやまざきちょう)にある,千利休が手がけたとされる妙喜庵茶室「待庵」の模型です。実物の14分の1に縮小したもので,待庵内部配置図とあわせて,桃山時代における利休の趣向が生かされた茶室の構造を見ることができます。模型を作成された時の工夫などを紹介しています。(資料として「実際の待庵内部の構造と大きさ」をGIFファイル,PDFファイルで添付)
和歌山県立橋本高等学校 岩倉哲夫
亀甲船(亀船)模型[1/10]。当時の朝鮮水軍が誇る軍船で、その姿から「亀船(亀甲船)」とよんだ。全長約36メートルで、上面すべてに鉄板を張るとともに、尖鉄を立て、日本軍の戦法である鉄砲や切込みによる攻撃を防ぎつつ、左右前面の火砲により敵艦を攻撃した。名将李舜臣の創作といわれ、その船舶性能の優秀さにより、おおくの海戦で朝鮮水軍を勝利に導いた。『忠武公全書』に亀船の図があり、これを根拠に韓国の専門家に依頼し復元した。ご注意:このPDFファイルのデータはセキュリティーがかかっていて、編集・加工・印刷は禁止になっています。閲覧専用です。資料説明は、佐賀県立名護屋城博物館総合案内による。写真は佐賀県立名護屋城博物館提供。
佐賀県立名護屋城博物館
撮影年月:2001年11月24日、撮影場所:鹿児島市中心部。イエズス会の創立者の一人であるフランシスコ・ザビエルは1549年、パウロ・ヤジロー(鹿児島出身)の案内で、鹿児島に上陸しました。15代島津貴久の許しを得て、鹿児島で布教を始めました。
東書Eネット事務局
(栃木県立田沼高等学校の植物写真)もし「キクの花は何色ですか」と聞かれたら何色を思い浮かべますか。たぶん多くの人は黄色と白色が多いのではないでしょうか。写真を見てください。このキクは花(集合花)の中心こそ黄色(筒状花)ですが、周囲の舌状花と言われる部分は紫色です。そういうところから名前がノコンギク(野紺菊) となりました。
栃木県立田沼高等学校 川島基巳
なぜ戦国時代に鉄砲が伝来するのか?(1500年代後半のアジアに起きていたこと),「鉄砲の力」とは…何か?などについて、ワークシート形式になっています。
群馬県明和県央高等学校 石坂雅志
現場の授業実践からうまれた、地理Aおよび日本史の授業プリントです。生徒用プリントと解答プリントで1ファイルになっています。ご活用ください。「刀狩令」,「太閤検地」,「楽市,楽座」「秀吉遺言状」,「身分統制令」,「鉄砲伝来」など。
群馬県明和県央高等学校 石坂雅志
朝鮮人漂流民の救出と送還の旅を題材に東アジア海域史の舞台裏を解き明かし,琉球史や日本史といった枠組みにとらわれず,ダイナミックな視点から歴史を捉えて認識の枠を広げていくことの大切さを説く。
北海道大学大学院文学研究科准教授 橋本雄