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教科書単元リンク集・高等学校

教科書の単元から資料を探すページです。

311 倫理2 理性への信頼と懐疑

指導資料

  • 6.考えることを教える花、パンジー(学舎花逍遥)
    2009年09月03日
    • 理科
    • 指導資料
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    6.考えることを教える花、パンジー(学舎花逍遥)

    (栃木県立田沼高等学校の植物写真)玄関のパンジーとパンジー越しに見た社会福祉科棟を撮りました。雨の合間、社福棟の屋根の緑と壁の黄それに手前の車の赤がカラフルなパンジーと彩りを競っているかのようでした。

    栃木県立田沼高等学校 川島基巳

  • [数学史]パスカルとフェルマーの往復書簡
    2002年11月18日
    • 数学
    • 指導資料
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    [数学史]パスカルとフェルマーの往復書簡

    東書教育シリーズ・発展的な内容 関連資料 課題学習・選択授業「授業に役立つ数学の話」2002年8月発行より。ここでとり上げた内容は,数学史をどのように教材として利用したらよいかの一例を示したものです。

    数学教育研究家 片野善一郎

  • パスカルの用語?──「中間者」
    2007年04月03日
    • 地歴・公民・地図
    • 倫理
    • 指導資料
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    パスカルの用語?──「中間者」

    教科書の改訂にあたり,「中間者」という訳語の由来を発見したことを述べながら,なぜ「中間(中間者)」を重要語句としてゴチックにしたのかについて説明している。

    信州大学教授 平木幸二郎

問題・テスト資料

プリント資料

  • [2015倫理ITサブノート]合理的精神の確立・モラリストたち,経験論と合理論
    2015年07月06日
    • 授業プリント・ワークシート
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    [2015倫理ITサブノート]合理的精神の確立・モラリストたち,経験論と合理論

    2015年度版「倫理」 IT 授業サブ・ノート(新課程『倫理』[2東書・倫理306]に対応)より。科学革命/地動説/知は力/イドラ/帰納法/方法的懐疑/われ思う,ゆえにわれあり/演繹法,われ何を知るか/繊細の精神/生得観念/タブラ・ラサ/知覚の束/神即自然/汎神論/モナド(単子)などを中心に扱います。(教科書p.123-127,p.127-129)(初版2013年6月,第2版2014年6月,2015年度版2015年7月)

    福岡市立福翔高等学校 河村敬一,福岡県立宗像高等学校 國松勲

  • ポントスのヘラクレイデス(天文学者)
    2003年02月20日
    • 地学
    • 授業プリント・ワークシート
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    ポントスのヘラクレイデス(天文学者)

    ポントスのヘラクレイデス(天文学者)東京書籍作成Heracleides of Pontusトルコ,前390?~前339以降科学者人物誌―地学東京書籍2003年2月作成古代ギリシャの哲学者,天文学者。現在のトルコに属する黒海南岸のギリシャ植民都市ヘラクレア・ポンティカの生まれ。アテーナイに出てプラトンのアカデメイア学園に学び,特にアカデメイアの第2代学長スペウシッポスに教わった。紀元前339年のスペウシッポス死後に学長候補となったが選ばれず,帰郷して死んだ。ヘラクレイデスの記した多くの著作(自然学,医学等)は当時名声を博したが,今日では一つも伝えられていない。

    東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司

  • デカルト(物理学者)
    2003年06月03日
    • 物理
    • 授業プリント・ワークシート
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    デカルト(物理学者)

    デカルト(物理学者)東京書籍作成Ren du Perron Descartesフランス,1596-1650科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。

    東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司

  • (教科書復刻版) 地球の自転と太陽や星の1日の動き [地球と宇宙]
    2002年11月01日
    • 理科
    • 授業プリント・ワークシート
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    (教科書復刻版) 地球の自転と太陽や星の1日の動き [地球と宇宙]

    東書教育シリーズ中学校理科「教科書コラム復刻版」2002年9月作成より。「発展的な内容」関連資料として,昭和56年度版教科書「新しい科学」より抜粋・編集したものです。古代ギリシアのプトレマイオス(紀元120年ごろ)という科学者は,太陽や星が1日に1回地球のまわりを回っているように見えるのは,地球が動くのではなく,地球のまわりを太陽や星が動いているためだと考えた。コぺルニクスは,空気や雲などをはじめとした地球上にあるすべてのものは,地球といっしょに動いていると考えたら,とんでいる鳥もおいてきぼりにされる心配はないはずだと考えた。

    東京書籍(株) 理科編集部

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