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教科書単元リンク集・高等学校

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308 世界史B4 近世ヨーロッパの社会と文化

指導資料

  • ジェンナー(生物学者)
    2002年10月30日
    • 生物
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    ジェンナー(生物学者)

    エドワード ジェンナー (Edward Jenner)英国,1749-1823科学者人物誌―生物世界保健機構(WHO)は1980年5月8日ジュネーヴにおいて,この地球上から天然痘は完全に絶滅したとの宣言を採択した。有史以来人類が悩まされつづけてきたこの業病を,進歩した医学や医術の力によって根絶したのである。まさに人類の英知の勝利といってよいであろう。

    東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司

  • リンネ(生物学者)
    2002年10月30日
    • 生物
    • 指導資料
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    リンネ(生物学者)

    カール リンネスウェーデン,1707-1778科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成地球上に現生している生物の種数は200万を超える。その生物を識別するのに,属名と種小名を組み合わせた二命法という便利な名前の付け方を創始し,当時知られていた地球上の全生物にその方法で命名して,その後の生物学における情報処理の基本を打ちたてたのが,スウェーデン人カール・リンネである。

    東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司

プリント資料

  • デカルト(物理学者)
    2003年06月03日
    • 物理
    • 授業プリント・ワークシート
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    デカルト(物理学者)

    デカルト(物理学者)東京書籍作成Ren du Perron Descartesフランス,1596-1650科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。

    東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司

  • 【授業を豊かにする史話】魔女の時代-狂気の二世紀-
    2000年09月11日
    • 地歴・公民・地図
    • 授業プリント・ワークシート
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    【授業を豊かにする史話】魔女の時代-狂気の二世紀-

    高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。T.Vドラマで「奥様は魔女」、漫画で「魔法使いサリー」、映画で「魔女の宅急便」などの作品があるように、今でも魔女はしばしば物語の上で登場してくる。今の魔女たちは人間に害を及さない可愛い魔女として描かれているが、グリム描くところの魔女は、あるいはヨーロッパの小説に登場する魔女は悪魔の使いとして、人間に災厄をもたらす者として極悪非道に描かれている。今時、魔女の存在を信じる人はいない。しかし、今から三百年前ぐらいには魔女の存在は信じられ、魔女裁判が行なわれ、多くの無辜の民が魔女として処刑されていった。

    名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔

その他資料

  • [世界史トピック17]タレーラン
    2007年11月30日
    • 地歴・公民・地図
    • エッセイ
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    [世界史トピック17]タレーラン

    タレーラン (1754~1838)は,ウィーン会議で正統主義を通して,ブルボン朝の復位と旧制度への復活をもくろみ,事実上革命前の状態にもどすことに成功した。彼は,メッテルニヒとともに,戦勝国の対立をたくみに利用し,敗戦国フランスを戦勝国並みに引き上げたのである。欧米における国民国家の形成・フランス革命とウィーン体制・ウィーン体制の成立。

    山形中央高校 加藤亨

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