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モーリス ヒュー フレデリック ウィルキンズ (Maurice Hugh Frederick Wilkins)ニュージーランド,1916-ジェイムズ デューイ ワトソン (James Dewey Watson)アメリカ,1928-フランシス ハリー コンプトン クリック (Francis Harry Compton Crick)英国,1916-科学者人物誌―生物DNAの二重らせんモデルの提唱者といえば,ワトソンとクリックの二人がすぐ思い浮ぶであろう。1953年4月25日付の『ネーチャー』誌に載せられた二人の論文は,その後の分子生物学の展開に大きく影響する内容を含んでいた。彼らの提唱したモデルは,DNAが遺伝物質としての資格を有していることを明らかにした。そうした功績が認められ,彼らは1962年度のノーベル医学・生理学賞を受賞した。しかし,そのときもう一人の科学者が名を連ねていた。ウィルキンズがその人である。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ヘッケル(生物学者)東京書籍作成Ernst Heinrich Philipp August Haeckelドイツ,1834-1919科学者人物誌―生物東京書籍2003年11月作成ドイツの生物学者。メルゼンブルクの行政顧問官を父としてポツダムに生まれる。若い頃から植物標本の収集に関心を持ち,同時に絵を描くことを好んだ。両親の勧めで医学を学んだが好まず,医学の科学的な基礎を探求する方向を選んだ。ベルリン,ヴュルツブルク,ウィーンの医学部で学んだが,関心は比較解剖学と発生学にあり,ルドルフ・フィルヒョウの機械論的生物学にも影響された。1857年にベルリン大学で医学博士号を,動物学の論文によって得た。1859年から翌年にかけて地中海で放散虫についての研究を行い,『放散虫』(1862年)を刊行した。この研究が認められて1861年にイェナ大学医学部の比較解剖学講師となり,1862年に同大学哲学部の動物学員外教授に,1865年には正教授に昇格して同時に動物学研究所の所長にもなった。その職に1909年に退官するまで留まった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
インゲン=ハウス(生物学者)Jan Ingen-Houszオランダ,1730-1799科学者人物誌―生物オランダの医学者・植物生理学者。父は商人だったが,後に薬剤師にもなった。カトリックを信仰する一家だった。当時オーストリア継承戦争でインゲン=ハウス一家の居住地ブレダの付近に駐屯していたイギリス軍の軍医ジョン・プリングルに才能を見出され,医学を学ぶように勧められた。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
チャールズ ロバート ダーウィン (Charles Robert Darwin),英国,1809-1882,科学者人物誌―生物。イギリスの大進化論者チャールズ・ダーウィンは,1809年2月12日にイングランド西部シルスベリに生まれた。リンカーンの誕生と同じ日である。父は開業医として成功しており,母は有名な陶器会社を創立したウェッジウッドの娘で,裕福な家庭であった。後にダーウィン自身もウェッジウッド家の出である従姉と結婚した。生物の進化論はダーウィン以前からだんだんに現われてきており,実は彼の祖父エラズマス・ダーウィンは進化論の先駆者の一人であった。チャールズの生まれた時には祖父はすでに亡く,遺著は家にあってチャールズはそれを読んだがあまり大きな影響は受けなかったという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
2014年のノーベル物理学賞は3人の日本人科学者(赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏)に決まりました。
筑波大学教員免許更新講習講師 鈴木伸男
中学校理科「授業に活力!! 生徒をひきつける実験事例集」2006年10月作成より。平成18-23(2006-2011)年度用教科書「新編新しい科学」2分野上 プロローグ 野外観察に出かけよう に対応。分野を問わず,顕微鏡操作の技能は微視的な観察の基本となるものである。そのためにも生徒には基本操作をしっかり身につけさせたい。。生徒が楽しく顕微鏡にふれながら,いつのまにか顕微鏡操作に慣れることができる教材を紹介する。顕微鏡操作の導入で活用する。
東京書籍(株) 理科編集部
博物館には専門の学芸員や解説員がいますので、気軽に質問をしてみてください。どの都道府県にも博物館はいくつかありますので、観光地を巡るだけではなく、博物館にもぜひ訪れてみましょう。
筑波大学教員免許更新講習講師 鈴木伸男
「中学校理科 事故事例に学ぶ 化学実験安全マニュアル」(2024年4月)より。アルカリ性の水溶液には、タンパク質を分解したり変性させたりする性質があります。タンパク質でできている皮膚に触れたり、目や口に入ったりしないよう、その取り扱いに注意する必要があります。
東京書籍(株) 理科編集部
理科の知識などを深めたり、自由研究を進めたりする上で、自然現象とその変化、動・植物の生態などを注意深く見ること、つまり「観察」をしっかり行うことがとても大事です。
元筑波大学教員免許更新講習講師 鈴木伸男
アルフレッド ラッセル ウォーレス (Alfred Russel Wallace)アメリカ,1823-1913科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成ダーウィンと個別に自然選択説に到達し,また世界の生物分布の区画の上で重要なウォーレス線に名を残しているイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォーレスは1823年1月8日にウエールズの,ある村に生まれた。家は貧しくて十分な教育は受けられず,少年時代から兄たちに従い,ロンドンその他の土地で測量や建築の手伝いをし,やっと生活していた。しかし独学で勉強を続け,とくに植物学など博物学に興味をもった。やがてレーセスターの中学校で,わずかの時間教えるという些細な職を得た。そのころ図書館で昆虫学者のヘンリー・ウォルター・ベーツ(1825-1892)と知り合いになり,親しくなって,二人で南アメリカへの採集旅行を計画した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ロバート フック (Robert Hooke),英国,1635-1703,科学者人物誌―生物。フックは生物学では細胞の発見者として著名である。そして弾性に関するフックの法則の発見者として物理学でもよく知られている。彼が生きた時代はヨーロッパに近代的な自然科学が定着し始めた時代で,まだ物理学・化学・生物学・地学などが分化する以前であったため,一人の人物が天文の研究から物理・化学・生物など,何でも手がけた時代だったのである。その中でもフックはとくに幅広く,いろいろな研究に手を下し,それなりに価値ある成果をあげた人として,目立った存在である。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ハインリッヒ ヘルマン ロベルト コッホ (Heinrich Hermann Robert Koch)ドイツ,1843-1910科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成ロベルト・コッホは,不撓不屈の生涯を生き抜いた細菌学の始祖である。ゲッチンゲン大学を卒業して医師となった若き日のコッホは,東プロシャの片田舎を転々と移住するあまり栄えない一開業医であった。しかしパスツールの病原体説を実地に応用した英国のリスターの無菌的外科治療の成功を伝聞し,彼は鬱勃たる研究心に駆られ,夫人から28回の誕生祝に贈られた顕微鏡を使って細菌の写真撮影に情熱を燃やした。当時,欧州の農家では緬羊や山羊の間に炭疽が大流行し非常な打撃であった。屍体の血液中に桿状体が長糸状に連なっているのが認められ,フランスの学者で,これを病原に擬したものもいたが,運動がないので生物と断定することができなかった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
グレゴール ヨハン メンデル (Gregor Johann Mendel),ポーランド,1822-1884,科学者人物誌―生物。新聞,雑誌,テレビなどに,毎日のように遺伝子操作,バイオテクノロジーといった話題が登場する現代は,いわば「遺伝学の時代」である。その遺伝学は前世紀の中ごろ,メンデルによって科学の軌道に乗せられた。 チェコスロヴァキアの北部,ポーランドに近い所,ヒンチーツェという小さな村落にメンデルの生家が残っている。静かな田園の中にあるこの家は,現在は小さな博物館になっていて,その壁には「遺伝学の創始者グレゴール・ヨハン・メンデルは1822年7月20日ここに生まれた」と書いた案内板が掲げられている。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ルイ パスツール (Louis Pasteur)フランス,1822-1895科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成パスツールは,メンデルおよびダーウィンとならんで,生物学史の中で最もよく知られた人物であろう。光学異性体と旋光性,乳酸およびアルコール発酵,免疫とワクチンの開発など,その業績は理論と応用の広い範囲にわたり,いずれも現代に直接つながっている。パスツール効果(酸素によって発酵が抑えられる現象)とか,パスツール化(低温殺菌法)などの語は,今でも広く使われている。研究のスタイルの点でも,彼は現代の科学研究の基礎を開いた人として位置づけられる。同じ時代のメンデルやダーウィンは,あるいは修道院長の職務の余暇に,あるいは書斎にこもり,こつこつと仕事を積み上げていった。パスツールは31歳でリール大学の化学教授となってから,一貫して実験室を活動の場として,業績を発展させた。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アントワーヌ ローラン ラボアジエ (Antoine Laurent Lavoisier)フランス,1743-1794科学者人物誌―生物ラボアジエは,近代化学を創設した学者とされている。この点については,彼の時代以前の状況と比較しなければ,彼の成果の偉大さを評価することはできない。それまでにいろいろな知識が,断片的に蓄積されてきていたが,それらを体系的な形として整理し,その体系に基づいて,新しく追加された知識がつねにその枠の中に吸収され,そこから次の段階へと発展してゆくような基礎を確立したのがラボアジエであった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アリストテレス (Aristoteles),ギリシャ,前384-前322,科学者人物誌―生物。日本ではアリストテレスといえば,ギリシアの哲学者だと思っている人が多い。その上に動物学の始祖でもあることを知っていれば,大したものである。高校の生物の教科書でも年表に名が出てくるだけであるし,大学の教科書にはその名さえ出ていないであろう。ところが,現在のアリストテレス全集の全体の5分の1は動物学関係のものであって,ヨーロッパやアメリカでは,哲学だけでなく生物学の研究者も,アリストテレスの著書を結構よく読んでいるのである。これは,ヨーロッパの生物学者が,昔から自分たちの学問の源は結局アリストテレスだということをよく知っているからであり,また日本で関心が薄いのは,日本の生物学が明治時代にヨーロッパやアメリカから導入されたときが,ちょうど進化論の全盛時代だったので,西洋の生物学に追いつくには,ダーウィン以後をものにすればよいということであったのであろう。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
東書教育シリーズ「入試問題に見られる観察・実験問題事例集」1996年4月発行より。実験操作の1つとして,ガスバーナーやメスシリンダーの使い方などがよく出題される。また,実験場面を示し,実験場の注意点を問うような問題も出題されている。その他,未知の個体・気体・液体・水溶液を識別する方法を考えさせたり,混合物を分類する方法を考えさせるなど,実験を組み立てるような問題もある。最後のページに解答がある。
東京書籍(株) 理科編集部
東書教育シリーズ「入試問題に見られる観察・実験問題事例集」1996年4月発行より。基礎操作としては,顕微鏡の使い方がよく出題されるが,単に操作の手順を問うだけでなく,よく見えなかったときなど,実際の観察で起こるトラブルの対処の仕方などを問う問題なども出題されている。その他,ルーペの使い方やスケッチの仕方なども出題されている。最後のページに解答がある。
東京書籍(株) 理科編集部
田中耕一(化学者)東京書籍作成Tanaka Kohichi日本,1959-科学者人物誌―化学東京書籍2002年11月作成田中は,1983年,東北大学工学部電気工学科を卒業し,同年,島津製作所に入社した。家庭の事情により,大学院への進学はしなかった。島津製作所で最初に配属された技術研究本部中央研究所では,はじめは,レーザーを用いて分子をイオン化し,質量分析を行う方法についての研究,特に生体薄膜の試料などの作成についての研究を行い,次いでレーザーイオン化飛行時間型質量分析計の開発に携わった。後者の研究では,有機物質の質量分析に関するデータを収集し,試料の調製方法の確立を行った。1986年には計測事業本部にうつり,中央研究所での成果をもとにレーザーイオン化飛行時間型質量分析計の製品化に取り組んだ。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
クーロン(物理学者)東京書籍作成Charles Augustin de Coulombフランス,1736-1806科学者人物誌―物理東京書籍2004年4月作成1736年6月14日にフランス西部の都市アングレームで生まれる。その後,家族とともにパリに移り,コレージュで受けたル・モニエの数学の講義に影響されて数学を志すようになる。しかし,経済的な理由や父の仕事の関係で,フランス南部の都市モンペリエに移ることになる。クーロンはこのモンペリエの学会に所属して,比例中項についての数学的問題や,月食や彗星の動きといった天文学上の計算についての論文を発表している。その後,ヨーロッパでもっともレベルの高い技術学校であったメジエールの工兵学校へ進学し,1760年2月から1761年11月まで在籍した。そしてこれを期に,数学から工学へと彼の研究分野は変わっていった。この時代のフランスでは,経験的なものから数学を用いた理論的なものへと工学の主流が変わってきており,クーロンもそうした学問の潮流にのって,そこの教師であり生涯の友ともなったボッシュなどから数学を用いた理論的な土木・軍事工学を学んだ。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
小柴昌俊(物理学者)東京書籍作成Koshiba Masatoshi日本,1926-科学者人物誌―物理東京書籍2002年11月作成小柴は,愛知県豊橋市に生まれ,1951年東京大学理学部を卒業した。1953年からアメリカのロチェスター大学大学院に学び,1955年に博士号を取得した。その後シカゴ大学を経て,1958年に東京大学原子核研究所助教授,1970年に東京大学理学部教授となった。1987年に定年退官し,以後1997年まで東海大学理学部教授を務めた。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
朝永振一郎(物理学者)東京書籍作成Tomonaga Shinichiroh日本,1879-1955科学者人物誌―物理東京書籍2003年2月作成朝永振一郎は哲学者の朝永三十郎の息子として東京で生れた。父親が京都帝国大学教授となったために,振一郎は京都府立第一中学校・第三高等学校・京都帝大に通った。習字の先生に字をけなされたために学校へ通うのを嫌ったのを心配し,母親が習字の先生によい成績をつけてもらうように頼んだという逸話も残っている。1歳年下の湯川秀樹は中学から同じ学校に通っていたが,朝永は病弱であったために中学に5年間通ったのちに高校に進学し,湯川は4年で中学を終えて高校に進んだため,高校で同学年となった。二人とも,高校で朝永の姉の夫である堀健夫の講義に影響を受け,量子力学に関心を抱くようになる。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
湯川秀樹(物理学者)東京書籍作成Yukawa Hideki日本,1907-1981科学者人物誌―物理東京書籍2003年2月作成湯川は1907年,東京に生まれた。秀樹の誕生後すぐに地質学者・地理学者であった父,小川琢治が京都帝国大学教授に就任すると,一家は京都へ移り住んだ。小川家は学者一家として著名であり,父のほかにも,兄の貝塚茂樹,弟の小川環樹の名はよく知られている。幼時には祖父から漢籍の素読の手ほどきを受けるという家庭環境であった。京都府立一中,第三高等学校,京都帝国大学という京都の学生のエリートコースを進んだ彼の級友には,後に学者になったものも多い。後に,湯川に次いでノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は,一中時代は湯川の1年上級であったが,高等学校からは同学年となった。湯川が京大理学部に入学した時には,父の小川琢治は理学部長の職にあった。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
ジョセフ・プリーストリ(化学者)東京書籍作成Joseph Priestleyイギリス,1733-1804科学者人物誌―化学東京書籍2003年6月作成ジョセフ・プリーストリは,「酸素の発見者」として知られる18世紀英国で活躍した人物である。プリーストリの本職は,非国教派の牧師または非国教徒学校の教師であるが,神学はもとより,科学だけでなく政治学,教育学,歴史学,言語学などに関しての著作を執筆した。また科学面においても電気,光,熱,気体化学,光合成など広範囲に研究を展開した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ギルバート(物理学者)William Gilbertイギリス,1544-1603科学者人物誌―物理イギリスの医師。代表的な著作は『磁石論(De magnete, magnetisque corporibus, et de magnete tellure ; ... 1600)』と『われわれの月下界についての新哲学(De mundo nostro sublunari philosophia nova, 1651)』である。とくにギルバートはこの『磁石論』で,古くからの迷信や憶測を脱却した磁気論を展開し,近代的な実験科学の基礎を築いた一人に数えられるようになった。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
タレス(化学者)東京書籍作成Thalesトルコ,前625?~前547?科学者人物誌―化学東京書籍2003年2月作成古代ギリシャの自然哲学者。現在のトルコのエーゲ海岸にあったイオニア人の植民都市ミレトスの生まれ。タレス自身は民族的にはフェニキア人であったとされる。古代ギリシャ哲学の歴史では筆頭にくる人物。ミレトスの漁民が或る日,海から黄金の鼎を引き上げた。所有者が判らずデルフォイの神殿に伺いを立てると「最も賢いものに与えよ」という神託が下る。そのためミレトスの人々はタレスにこの鼎を与えた。しかし,自分よりもふさわしい人がいる,と別の人に回し,その人もまた別の人にと結局7人の手を経てまたタレスに戻ってきた。そのためタレスは最も賢いのは神である,として鼎をデルフォイに奉納することにした。この時の7人が古代ギリシャの七賢人とされ,その筆頭がタレスなのである。タレスはエジプトやペルシャに旅行して古代の知恵を学んだという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アブデラのデモクリトス(化学者),Democritus of Abdera,ギリシャ,前460?~前370?,科学者人物誌―化学。古代ギリシャの哲学者。ギリシャ北部の都市アブデラの生まれ。同郷の人にソフィストとして著名なプロタゴラスがいる。生涯についての正確な記録はなく,生没年も明確ではないが,ソクラテスの同時代人とされている。伝説によれば全ギリシャはもちろん,ギリシャより古い文明であるエジプト,ペルシャ,さらにインドにまで学問を学ぶために旅したという。原子論を主張し,原子論に基づく様々な分野の著作を百冊以上著したとされるが,今日では全て失われ,断片以外伝わっていない。同じく原子論を主張したレウキッポスの弟子とも友人とも言われるが,影響関係は不明である。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アルキメデス(物理学者)東京書籍作成Archimedesイタリア,前287-前212科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成ヘレニズム時代の数学者・技術者。現在のイタリアのシチリア島のギリシャ人植民地シラクサに生まれる。父親は天文学者であった。当時の学問の中心であったエジプトのアレクサンドリアで数学を学んだ。後にシラクサに戻り,当地の王家と関わりを持ったことがアルキメデスの著作からわかる(王家と親戚であったとも言われる)。同時代には数学者としてよりは技術者として知られ,第2ポエニ戦争でのローマ軍によるシラクサ包囲の際,アルキメデスの軍事機械が活躍したことが記録に残っている。結局その戦争はローマの勝利に終わり,ローマの将軍マルケッルスは兵士を派遣してアルキメデスを呼び寄せようとしたが,誤ってその兵士がアルキメデスを殺してしまった。一説に,兵士が,研究中のアルキメデスの邪魔をしたために叱責され,それに腹を立てて殺害した,と言われている。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
ジェイムズ ワット(物理学者)東京書籍作成James Wattスコットランド,1736-1819科学者人物誌―物理東京書籍2003年2月作成ワットはスコットランドのグリーノックに生まれた。繊細で勉強を好んだといわれる。祖父は測量術・航海術を教えており,父親は船大工をしながら船具を売る店を経営していた。ワットは学校で古典語などを学びながら,父親の仕事場で手仕事についても学んでいった。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
ニューサポート高校「理科」vol.41(2024年春号)「特集:授業を変える~探究~」より。江東区の豊洲駅から徒歩 6 分。自然豊かな豊洲公園に隣接するのが、今回紹介する「がすてなーに ガスの科学館」である。この科学館には、1 階に「エネルギー」「防災」、2 階に「環境・食」「暮らし・社会」のテーマに関連する展示があり、五感を使った体験による学びを通じて、エネルギーへの理解を深めることができる。
東京書籍(株) 理科編集部
科学の大発見は誰にでもできるのだろうか?若い時期が好ましいのか,それとも経験が重要だろうか?このような根本的な問いに対して,ネットワーク科学の第一人者アルバート=ラズロ・バラバシ教授らが,興味深い論文をサイエンス誌に報告している(1)。この論文によれば,研究者が重要な発見をするのは研究歴とは関係がなく,いつでも起こりうるという。さらに,科学者には能力値のような固有のパラメータが隠されており,いくら素晴らしい研究テーマに出会ってもインパクトのある成果として世に送り出せない人もいるようだ。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎