教科書の単元から資料を探すページです。
【物理アイデアカード】 原子核・ 生徒実験・科学史。(1)全部のサイコロを一度に机の上に投げ,赤く塗った面が上になったものを崩壊したものとしてわきによける。(2)物理の単位には,その関連分野の研究に業績を上げた人名を用いているものが多い。たとえば,力の単位のニュートン,エネルギーの単位のジュール,電流の強さの単位のアンペア(アンペール),磁束の単位のウエーバーなど。広島県高等学校教育研究会理科部会物化部「理科アイデアカード」編集委員会 物理班作成「理科アイデアカード・物理編第Ⅲ集」より。
広島県高等学校教育研究会理科部会物化部「理科アイデアカード」編集委員会
朝永振一郎(物理学者)東京書籍作成Tomonaga Shinichiroh日本,1879-1955科学者人物誌―物理東京書籍2003年2月作成朝永振一郎は哲学者の朝永三十郎の息子として東京で生れた。父親が京都帝国大学教授となったために,振一郎は京都府立第一中学校・第三高等学校・京都帝大に通った。習字の先生に字をけなされたために学校へ通うのを嫌ったのを心配し,母親が習字の先生によい成績をつけてもらうように頼んだという逸話も残っている。1歳年下の湯川秀樹は中学から同じ学校に通っていたが,朝永は病弱であったために中学に5年間通ったのちに高校に進学し,湯川は4年で中学を終えて高校に進んだため,高校で同学年となった。二人とも,高校で朝永の姉の夫である堀健夫の講義に影響を受け,量子力学に関心を抱くようになる。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
小柴昌俊(物理学者)東京書籍作成Koshiba Masatoshi日本,1926-科学者人物誌―物理東京書籍2002年11月作成小柴は,愛知県豊橋市に生まれ,1951年東京大学理学部を卒業した。1953年からアメリカのロチェスター大学大学院に学び,1955年に博士号を取得した。その後シカゴ大学を経て,1958年に東京大学原子核研究所助教授,1970年に東京大学理学部教授となった。1987年に定年退官し,以後1997年まで東海大学理学部教授を務めた。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
湯川秀樹(物理学者)東京書籍作成Yukawa Hideki日本,1907-1981科学者人物誌―物理東京書籍2003年2月作成湯川は1907年,東京に生まれた。秀樹の誕生後すぐに地質学者・地理学者であった父,小川琢治が京都帝国大学教授に就任すると,一家は京都へ移り住んだ。小川家は学者一家として著名であり,父のほかにも,兄の貝塚茂樹,弟の小川環樹の名はよく知られている。幼時には祖父から漢籍の素読の手ほどきを受けるという家庭環境であった。京都府立一中,第三高等学校,京都帝国大学という京都の学生のエリートコースを進んだ彼の級友には,後に学者になったものも多い。後に,湯川に次いでノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は,一中時代は湯川の1年上級であったが,高等学校からは同学年となった。湯川が京大理学部に入学した時には,父の小川琢治は理学部長の職にあった。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司
研究者は誰もが独創性の高い発見をしたい,物事の本質と通じ合いたいと願っているものだ。ではいったい思考とは何か,どのようにして創造がおこるのか? ときどきこんなことを考えてみたくなる。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎
自分がノーベル賞を取れるかどうか,はっきりと分かる。今回は取れない,ということである。しかし長期的にみると分からないぞと言えるところが,研究の面白いところである。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎