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教科書単元リンク集・高等学校

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701 数学Ⅱ Advanced2章 図形と方程式

指導資料

  • 図形と方程式の領域を終えて
    2014年08月04日
    • 数学
    • 実践事例
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    図形と方程式の領域を終えて

    図形と方程式は、我々の知らない間に少しずつ内容が整理されてしまったように思う。特に垂直2等分線を求める問題が本文中から消えてしまったのは大きい。「図形と方程式」なのだから当然図形としての1面も捉えるべきであり、1年で学習した平面図形との関連ももっと教えるべきであろう。本稿では、図形と方程式の領域の指導を終えて感じられた問題点を提起したい。

    埼玉県豊岡高等学校 五十嵐英男

  • 3つのd(discriminant,distance,difference)~円と直線の共有点の個数分類~
    2010年11月19日
    • 数学
    • 実践事例
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    3つのd(discriminant,distance,difference)~円と直線の共有点の個数分類~

    数学Ⅱの図形と方程式で円と直線の共有点を扱う。共有点の座標を求めるのであれば,円の方程式と直線の方程式の連立方程式を解くようになる。共有点の個数を分類するのであれば,2次方程式の判別式でできると同時に,別解として円の中心と直線の距離dと円の半径rの大小比較でもできる。「判別式」と「点と直線の距離の公式」という一見関連性のなさそうな式が,円という特殊性によって同じ解決に至る共通アイテムとなる。。生徒にとっては,同一問題を別観点から求めることには意外性があり,興味を惹くと思われるのであるが,これが歓迎されるか,疎まれるか・・・それが教える側としては問題である。※文中の数式は,「Tosho数式エディタ」で作成されています。ワード文書で数式を正しく表示するためには,「Tosho数式エディタ」が導入されていることが必要です。無償ダウンロードはこちら→無償ダウンロードのご案内

    山口県立岩国高等学校教諭 西元教善

  • ベクトル・行列・複素数・解析幾何
    2003年04月15日
    • 数学
    • 指導資料
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    ベクトル・行列・複素数・解析幾何

    「解法は1通りではない」-数学の別解づくりを考えよう-稲永善数―平成15年4月作成より。「図形と方程式」の章の授業をしながら「この問題は,ベクトルで処理すれば簡単に求められるのに」「この問題を複素数平面とみなして処理すれば,面白いかも」などと,考えながら授業をする先生方も多いことだろう。ここで,問題を解決する道具として「ベクトル」「複素数」「行列」のそれぞれの有効性を考えてみる。

    稲永善数

  • Tosho関数・図形作成エディタの活用
    2008年04月23日
    • 数学
    • 実践事例
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    Tosho関数・図形作成エディタの活用

    最近になってTosho数式エディタやTosho関数・図形作成エディタを使い始めた。それまでは,もっぱらWordの「挿入」にある「オブジェクト」の「Microsoft数式3.0」で数式を入力してきた。慣れた方が楽であるという思いで7年間使ってきたが,操作の簡便さや印刷の美しさから最近はTosho数式エディタを使っている。

    山口県立岩国高等学校 西元教善

  • [集中連載]高校数学を横に斬る!-いろいろな解法を考えてみようPart4(最終回)-
    2008年04月16日
    • 数学
    • 実践事例
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    [集中連載]高校数学を横に斬る!-いろいろな解法を考えてみようPart4(最終回)-

    九州数学シンクタンクグル-プでの「高校数学を横に切る!」の研究発表もいよいよ最終回を迎えることとなりました。各県の先生方が揃う機会は限られますが,集まったときには集中的に検討し,研究を深めています。今回の研究につきましても是非ご意見・ご感想をお聞かせください。

    九州数学シンクタンクグループ

問題・テスト資料

プリント資料

  • デカルト(物理学者)
    2003年06月03日
    • 物理
    • 授業プリント・ワークシート
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    デカルト(物理学者)

    デカルト(物理学者)東京書籍作成Ren du Perron Descartesフランス,1596-1650科学者人物誌―物理東京書籍2003年6月作成フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。

    東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司

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