教科書の単元から資料を探すページです。
本校では、年に1回、1時間ですが、各教員がアクティブラーニング(以下AL)をトレーニングするための特別授業が行われています。小稿は、その授業案と授業の実施報告です。
京都学園高等学校 齋藤忠和
教科書に名前が掲載されている老中の数は限られ,掲載されていても十分な説明があるものはごくわずかであるが,老中の役割を知ることは江戸時代の家格制度を考える上で興味深いと述べている。
東京大学教授 山本博文
[巻頭言]黒船の時代の世界と日本-アジア・太平洋の「世界化」の中で-ニュ-サポ-ト高校社会Vol.8(2007年秋号)[本文より]今年(2007年)5月から,朝日新聞が,「歴史は生きている-東アジアの150年」と題するシリ-ズの連載を始めている。その手始めに,内外の歴史学者など20人に,それぞれが重要と考える10の出来事を選ぶよう,アンケ-トを行っていた(5月29日紙面)。そこでは,時系列では最初のものとして,多くの回答者がアヘン戦争をあげていた。実際,中国では,近代史はアヘン戦争から始まるとされるのが普通である。当時の日本にとっても,アヘン戦争の衝撃は大きなものがあった。そして,この戦争の敗北の経験の中から生み出された魏源の『海国図志』が,ほどなく日本にもたらされ(1847年出版の60巻本,日本到来は1853年),翻刻,あるいは部分訳の出版によって広く読まれ,日本人の対外認識に大きな影響を与えたことも,すでによく知られているところであろう。
『世界史 A』編集委員 前横浜市立大学教授 加藤晴康
2002年[倫理]センター本試験問題27から,教科書の単元に合わせて編集した問題です。1ページ目が問題,2ページ目が解答の構成になっています。
福岡市立福翔高等学校 河村敬一 福岡県立宗像高等学校 國松勲
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。1837年(天保8)7月、米国商船モリソン号が、日本漂流民7人を伴い対日通商を目的とし、浦賀へやってきた。幕府は対外強硬策をとり、モリソン号に大砲を打ち込み、追い払った。モリソン号は浦賀を逃げだし、漂流民を降ろすために鹿児島湾に立ち寄ったが、そこも追い払われた。モリソン号に乗っていた7人の漂流民のうち3人は愛知県出身で、世界一周して日本に帰ってきた人たちであった。後の4人はルソン(フイリピン)島に漂着した九州出身者である。この7人は、日本を目前にして、マカオに去らねばならなかった。モリソン号事件の幕府の態度に反対したのが高野長英や渡辺華山である。幕府は彼らをとらまえ、投獄した。これを蛮社の獄という。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。1792年、ロシアの使節ラックスマンが、日本にやってきた。このことは高校の『日本史』の教科書に載っている。ある教科書は「ロシアの使節ラックスマンが漂流した日本人をともなって根室へ来て通商を求め」と、漂流した日本人の存在を書いているが、その日本人のことについては一切書いていない。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔