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正岡子規については,その晩年肺病に結核性の脊椎カリエスを併発し,長く病床にあった。生徒に「死生観」というものを考える上で絶好の教材であり,2002年1月11日,野球殿堂入りしたということもあり,タイムリーな話題でもあった。
日本航空高等学校通信制課程 櫻場勝
ニューサポート教育情報「書道」vol.8(2011年春号)より。ここに紹介したのは、子規の絶筆である。これを書き上げてから十数時間後の明治35年9月18日の夜、子規は帰らぬ人となる。(国立国会図書館蔵)「子規は床に横たわったまま、まず「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」の句を書いた。妹の律は紙を画板に止めて用意した。筆を手渡したのは河東碧梧桐である。咳き込む子規は少し休んでから、先の句の左に「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」の一句を書き加えた。懐紙ほどの大きさの紙の中央に、初めの句が4行に大きく散らし書きされているから、ずいぶん詰め込んで配置した。「糸瓜咲て」の句には伸びやかな平生の子規の姿を留めているが、「痰一斗」になると、急にその趣は変わる。「ず」の乱れた様子には鬼気迫るものがある。そしてさらに「をととひのへちまの水も取らざりき」の一句を加えた。二文字目を「登」に作り、途中まで書き進んで、「と」を落としたことに気付いて右わきに書き加えた。結句は返し書きとした。これももはや偶然の産物だろう。行は傾き、筆の進みも渋滞する。生命の終焉が訪れていることを子規自身の筆が如実に物語っている。」(大東文化大学准教授 高橋 利郎『人書倶老―正岡子規』より。)
東京書籍(株) 書道編集部
長沼高校にて、赴任当初、「歌集」の創作だったのが、依田明倫氏と邂逅し、「俳句創作」の道に入ってしまった。今では、全校挙げて、年4回、授業の最初20分程度の短時間で、一人一句から十数句までの俳句を創作する。その中から、私が70句前後、選定し、俳句誌『夏至』(北海道岩見沢市、ホトトギス派)に投稿する実践を行っている。
北海道長沼高等学校 荒木美智雄
今回は、二年前に行った「正岡子規」の短歌を授業、鑑賞・教材化による実践の再考を通して、俳句創作に対してどういかすべきか、その道(手立て)を論究しながら模索していきたい。
北海道長沼高等学校 荒木美智雄