教科書の単元から資料を探すページです。
私は教員歴30年になりますが、その間生徒から質問されたり教員間で検討したり、また自分自身で得心がいかず考察したことが―何しろ30年もやっているので―かなりあります。専門家の間では結論が出ていても高校現場では知られておらず、また指導書にも記述されていないことが多数あります。あるいは、ここまで話さなければ授業をしたことにならない、というテーマもあります。それらを「QアンドA」形式にまとめてみました。若い先生方の指導のお役に立つことを願って紹介します。今回は現代文編4です。
埼玉県立浦和第一女子高等学校 滝本正史
正岡子規については,その晩年肺病に結核性の脊椎カリエスを併発し,長く病床にあった。生徒に「死生観」というものを考える上で絶好の教材であり,2002年1月11日,野球殿堂入りしたということもあり,タイムリーな話題でもあった。
日本航空高等学校通信制課程 櫻場勝
ニューサポート教育情報「書道」vol.8(2011年春号)より。ここに紹介したのは、子規の絶筆である。これを書き上げてから十数時間後の明治35年9月18日の夜、子規は帰らぬ人となる。(国立国会図書館蔵)「子規は床に横たわったまま、まず「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」の句を書いた。妹の律は紙を画板に止めて用意した。筆を手渡したのは河東碧梧桐である。咳き込む子規は少し休んでから、先の句の左に「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」の一句を書き加えた。懐紙ほどの大きさの紙の中央に、初めの句が4行に大きく散らし書きされているから、ずいぶん詰め込んで配置した。「糸瓜咲て」の句には伸びやかな平生の子規の姿を留めているが、「痰一斗」になると、急にその趣は変わる。「ず」の乱れた様子には鬼気迫るものがある。そしてさらに「をととひのへちまの水も取らざりき」の一句を加えた。二文字目を「登」に作り、途中まで書き進んで、「と」を落としたことに気付いて右わきに書き加えた。結句は返し書きとした。これももはや偶然の産物だろう。行は傾き、筆の進みも渋滞する。生命の終焉が訪れていることを子規自身の筆が如実に物語っている。」(大東文化大学准教授 高橋 利郎『人書倶老―正岡子規』より。)
東京書籍(株) 書道編集部
現在、寺山修司は、私の周辺あらゆるところで人気があり注目を博し、処々論じられているが、私はこと高校の「国語教育」における教科書編成について不十分だと思う、ある「疑問」を抱き、本稿を執筆した次第である。
北海学園大学非常勤講師 荒木美智雄
現在、寺山修司は、私の周辺あらゆるところで人気があり注目を博し、処々論じられているが、私はこと高校の「国語教育」における教科書編成について不十分だと思う、ある「疑問」を抱き、本稿を執筆した次第である。本稿はその第2回である。
北海学園高等学校時間講師 荒木美智雄
現在、寺山修司は、私の周辺あらゆるところで人気があり注目を博し、処々論じられているが、私はこと高校の「国語教育」における教科書編成について不十分だと思う、ある「疑問」を抱き、本稿を執筆した次第である。寺山修司論について「俳句・短歌論」を論じてきたが、今回は「詩論」についての解析を試みたい。
北海高等学校時間講師 荒木美智雄
私が以前執筆した「俳句・短歌の窓①~⑧」の続編として、新たに「俳句・短歌の世界観」をシリーズ化とした「論考」を執筆することにした。それは新たな私の問題意識が蓄積し、全国に発信したいと考えたからである。今回は「石川啄木」論である。
北海学園大学非常勤講師 荒木美智雄
先回の「石川啄木」論をもって、「俳句・短歌の世界観」シリーズを終えるつもりでいたが、朝日カルチャーセンターで「若山牧水」論を論じることになったのを機に、本論考を編むこととした。先の「石川啄木」論を執筆して、啄木と牧水の両者にさまざまな接点があることを知り、深い興味とともに、さらなる〈謎〉も生じてきた。その〈謎〉を私なりに論究していきたい。
北海学園大学非常勤講師 荒木美智雄
ニューサポート高校「国語」vol.32(2019年秋号)より。十代、二十代、三十代の若者の大量流入により短歌は活性化し、一種、興隆の時代を迎えている。もっとも衰微に向かいつつある旧歌壇(結社等々)と新興の若者の歌界との交流がなされねばならない。
歌人 奥村晃作
今回は、二年前に行った「正岡子規」の短歌を授業、鑑賞・教材化による実践の再考を通して、俳句創作に対してどういかすべきか、その道(手立て)を論究しながら模索していきたい。
北海道長沼高等学校 荒木美智雄