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グスタフ ハインリッヒ テーオドール アイマー (Gustav Heinrich Theodor Eimer)スイス,1843-1898科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成「種の形成や進化の法則は私の持っているチョウの標本の翅から直接読みとることができる。……その翅に描かれた特徴はそれらの過去と現在の様子を示している。」(アイマー『オルソゼネシスについて』1897,英訳版1898年より)これは今回登場するドイツの生物学者アイマーが語った言葉である。1888年ごろ,彼はアゲハチョウ属(Papilio)の翅の色や模様に注目した。その理由は後述するが,ともかく,いろいろな種を調べていくと,P.alebion,P.paphus,P.glycerionでは11本のタテ縞の模様が見られたが,P.eurymedon,P.turnus,P.alexanor,P.machaonと並べていくと,その本数は徐々に減っていき,P.asteriasでは単色になってしまった。その間,P.machaonでは班点も現れ,とくにP.xuthusやP.xulanthusではそれが目立つのであった。こうした翅の模様の一連の方向をもった変異は,アイマーにとって自分の抱く進化の考えを確信させるものとなった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ハーディ(生物学者)東京書籍作成Godfrey Harold Harイギリス,1877-1947科学者人物誌―生物東京書籍2004年2月作成イギリスの数学者。イングランドのサリー州クランリーで,当地の学校の経理官であり美術教師であった父と,リンカンの師範学校の教師であった母の間に生まれる。両親とも出身が貧しかったので大学教育を受けられなかったが,数学の才能があった。けれど,息子のハーディは若い頃はあまり数学に関心がなかった。1889年に当時数学教育では最も優れていたウィンチェスター大学の奨学金を得て翌年に入学した。1896年にはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学した。1900年にはトリニティ・カレッジのフェローに選ばれた。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ハーマン ジョセフ マラーアメリカ,1890-1967科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成生物体にX線を照射して,人為的に突然変異を誘発する方法を発見したのは,ハーマン・ジョセフ・マラーであった。 彼はニューヨークの金属工芸店に生まれた。8歳のころ,父に連れられて自然史博物館を見学に行き,そこに陳列された化石標本を見て,生物がいかにして進化してきたかについて関心を持ちはじめた。そして自然界におけるこの進化を,未来において人為的にコントロールできるはずだと思い,ここから遺伝学に興味を覚えるようになったという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ジャン バティスト ピエール アントワーヌ ド モネ,ジュヴァリエ ド ラマルク(Jean Baptiste Pierre Antoine de Monet,Chevalier de Lamarck )フランス,1744-1829科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成パリのセーヌ河畔,オーストリッツ駅に近いラマルク広場に,生物学者ラマルクの銅像がある。ジャン・バティスト・ピエール・アントワーヌ・ド・モネ,ド・ラマルクという長い名前をもつラマルクは,ダーウィン以前に生物の進化説を提唱した著名な学者であったが,その一生は不運の連続であった。ラマルクは1744年,パリの北方120㎞のアルベールに近い寒村バザンタンに生まれた。父の命令によってイエズス教会の学校に入ったが,のちに中途退学して軍人となり,戦場に赴いて病に倒れ,退職してパリで保養し,健康を取り戻して銀行員となったが,性格に合わないので辞職し,屋根裏部屋で貧しい生活をしながら,好きな自然研究を始めた。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ロマニーズ(生物学者)東京書籍作成George John Romanesイギリス,1848-1894科学者人物誌―生物東京書籍2004年2月作成イギリスの生物学者。カナダのオンタリオ州キングストンで生まれた。父は当時キングストン大学のギリシャ語の教授であった。一家はロマニーズが生まれてすぐにイングランドに移った。1850年には遺産を受け取って裕福になり,ロマニーズは生涯働くことがなく研究を行えた。1867年にケンブリッジ大学のゴンヴィル=キーズ・カレッジ(Gonville and Caius College)に入学し,1870年に学士号(BA)を獲得した。ケンブリッジでチャールズ・ダーウィンと親交を結んでいる。1874-76年にロンドン大学でクラゲや棘皮動物の神経・運動系について研究した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アウグスト フリードリヒ レオポルド ワイスマン (August Friedrich Leopold Weismann)ドイツ,1834-1914科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成19世紀は機械論の時代だったといえる。機械論という語はいろいろな用法があるが,そのーつは,全体は部分の総和で,全体は構成要素に還元されるという考え方で,生物学以外の分野にも見られる。生物学では細胞説のように,細胞が基本的生活体で,細胞のことを解明すれば,その総和としての生体のことは理解できると考える。同じような考え方をさらに進めれば,特定の性質を担った粒子を仮定して生体の諸現象を説明しようとする粒子説になる。また要素への還元の考えは,生体の諸現象は結局,物理・化学的に解明しつくせるという考えに通じることにもなる。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
モーリス フリードリッヒ ワグナー (Moritz Friedrich Wagner)ドイツ,1813-1887科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成1859年,ダーウィンの『種の起源』が世に出されてから,生物の進化は事実として広く認められるようになった。しかし,進化がどういう要因で起こるかという問題については,今日に至るまで種々論議されてきた。進化の要因として,ダーウィンが重視したのは,よく知られているように,自然選択説でその主著の表題も,詳しくは『自然選択の方途による種の起源』となっている。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アルフレッド ラッセル ウォーレス (Alfred Russel Wallace)アメリカ,1823-1913科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成ダーウィンと個別に自然選択説に到達し,また世界の生物分布の区画の上で重要なウォーレス線に名を残しているイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォーレスは1823年1月8日にウエールズの,ある村に生まれた。家は貧しくて十分な教育は受けられず,少年時代から兄たちに従い,ロンドンその他の土地で測量や建築の手伝いをし,やっと生活していた。しかし独学で勉強を続け,とくに植物学など博物学に興味をもった。やがてレーセスターの中学校で,わずかの時間教えるという些細な職を得た。そのころ図書館で昆虫学者のヘンリー・ウォルター・ベーツ(1825-1892)と知り合いになり,親しくなって,二人で南アメリカへの採集旅行を計画した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ヘッケル(生物学者)東京書籍作成Ernst Heinrich Philipp August Haeckelドイツ,1834-1919科学者人物誌―生物東京書籍2003年11月作成ドイツの生物学者。メルゼンブルクの行政顧問官を父としてポツダムに生まれる。若い頃から植物標本の収集に関心を持ち,同時に絵を描くことを好んだ。両親の勧めで医学を学んだが好まず,医学の科学的な基礎を探求する方向を選んだ。ベルリン,ヴュルツブルク,ウィーンの医学部で学んだが,関心は比較解剖学と発生学にあり,ルドルフ・フィルヒョウの機械論的生物学にも影響された。1857年にベルリン大学で医学博士号を,動物学の論文によって得た。1859年から翌年にかけて地中海で放散虫についての研究を行い,『放散虫』(1862年)を刊行した。この研究が認められて1861年にイェナ大学医学部の比較解剖学講師となり,1862年に同大学哲学部の動物学員外教授に,1865年には正教授に昇格して同時に動物学研究所の所長にもなった。その職に1909年に退官するまで留まった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
生物Ⅱの授業を引き受けた。昨年はこの授業の中で課題研究として行った魚介類(特に貝類)の進化について生徒たちのユニークな発想を紹介したが,今回は主に解剖の授業を展開する上で授業者に役立ちそうな情報の提供と,生徒たちの考えた魚類の分類・進化を紹介したい。
宮城県気仙沼西高等学校 吉本裕一・小林裕美
【本文より】筆者の一人吉本は,本校に赴任し生物IIを教えることになった。担当するクラスは3年生の教養コースだから何をしても構わないとのこと。高橋の強い勧めもあり,漁港の町気仙沼ならではの実験観察,すなわち容易に入手できる魚介類の解剖を,『第Ⅳ章・課題研究』として位置付け,授業に取り入れようと話はまとまった。とは言うものの,この手の実験観察など授業で扱った経験のない筆者らはろくな教材観もなしに,泥縄式,前後の授業との脈絡なしに実験観察を進めていた。ところが対象とする魚介類の種類が増すにつれ,そして授業が“生物の進化と系統”という項目にさしかかったあたりで,魚屋の店頭に並ぶ魚介類であっても,それぞれの生活様式と形態,各種器官の有無等を比較検討すれば,動物の進化(変化)を理解する上で大いに役立つ教材になるとの思いに至った。以下は,教える側と教えられる側がともに驚き,そして楽しみながら行った授業実践の記録である。
宮城県気仙沼西高等学校 吉本裕一,高橋誠子
(栃木県立田沼高等学校の植物写真)10月13日、ツリフネソウを見てきました。校内ではありませんが、栃本公園隣のクロスカントリー走路脇に咲いているので紹介します。ツリフネソウとは花の形が船を釣り下げたような姿、あるいは舟形の釣花生けに似た形から付いた名です。
栃木県立田沼高等学校 川島基巳
チャールズ ロバート ダーウィン (Charles Robert Darwin),英国,1809-1882,科学者人物誌―生物。イギリスの大進化論者チャールズ・ダーウィンは,1809年2月12日にイングランド西部シルスベリに生まれた。リンカーンの誕生と同じ日である。父は開業医として成功しており,母は有名な陶器会社を創立したウェッジウッドの娘で,裕福な家庭であった。後にダーウィン自身もウェッジウッド家の出である従姉と結婚した。生物の進化論はダーウィン以前からだんだんに現われてきており,実は彼の祖父エラズマス・ダーウィンは進化論の先駆者の一人であった。チャールズの生まれた時には祖父はすでに亡く,遺著は家にあってチャールズはそれを読んだがあまり大きな影響は受けなかったという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
今年のノーベル賞も嬉しいことにタンパク質が主役だった。タンパク質の薬がノーベル生理学・医学賞に,タンパク質の操作がノーベル物理学賞に,タンパク質の進化法がノーベル化学賞にと大活躍だ。そろそろ文学賞や平和賞に進出してもおかしくない。今回のかがくのおとは,化学賞の公式プレスリリースを読みながら進化について考えてみたい(1)。進化は抜群に面白い法則である。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎
シャペロンとは,タンパク質の凝集をふせいで構造形成を助けるタンパク質の総称である。このような働きは,タンパク質の物理現象だけでなく,高次の生命現象にも関連することが興味深い。今回は,細胞内に豊富に存在しているシャペロンHSP90の働きと,生物の進化やヒトの疾患との関わりを紹介したい。HSP90から見れば,タンパク質の構造が不安定で凝集しやすいために,生物は進化できたのだと言うことができる。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎
クリスパーの進展が止まらない。1年前,本コラムに書いたかがくのおと『CRISPR』の中で,新しく誕生したゲノム操作技術が科学界を席巻する様子を,「想像しうる全ての結果が,たった1年半で実現したといってよい」と書いたが,その後の1年でさらに進んだのである。「笑ってしまうほどの進歩だ」は,「笑えないほどの進歩だ」に訂正したい。
筑波大学数理物質系物理工学域教授 白木賢太郎