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中国後漢時代(1~2世紀ごろ)の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)。背面に十二支の文字や方位神である玄武(げんぶ)・朱雀(すざく)・青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)の四神、カラス、カエルおよび銘文が刻まれている。ご注意:このPDFファイルのデータはセキュリティーがかかっていて、編集・加工・印刷は禁止になっています。閲覧専用です。資料説明は、佐賀県立名護屋城博物館総合案内による。写真は佐賀県立名護屋城博物館提供。
佐賀県立名護屋城博物館
高校生を対象としていますが,もう一度歴史を学んで見よう,ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。
立命館慶祥高等学校 斎藤忠和
『世界史史料』(岩波書店)を用いた授業案の第3回は、陳勝・呉広の乱について『史記』ではどう記述されているかという検証を通して、史料を批判的に読み解くことの大切さを学ぶ授業案をご提案させていただきます。
京都先端科学大学附属高等学校 齋藤忠和
高校生を対象としていますが、もう一度歴史を学んで見よう、ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。「より知りたい」と思う生徒が「しっかり」学びうるよう内容の充実をはかり、topicsに「資料」や「コラム」的なものを配して、興味関心を喚起することに努めています。
立命館慶祥高等学校 斎藤忠和
高校生を対象としていますが、もう一度歴史を学んで見よう、ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。「より知りたい」と思う生徒が「しっかり」学びうるよう内容の充実をはかり、topicsに「資料」や「コラム」的なものを配して、興味関心を喚起することに努めています。
立命館慶祥高等学校 斎藤忠和
『世界史史料』(岩波書店)を用いた授業案の第2回は、秦の始皇帝が行った(とされてきた)「貨幣の統一」について、『史記』の記述とその解説から、教科書の記述と比較検討するいう授業案をご提案させていただきます。
京都先端科学大学附属高等学校 齋藤忠和
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。時代は秦の始皇帝の全盛時代。始皇帝は匈奴の侵入を防ぐために、戦国時代各国が造った長城を補修し、より強固なものにしようと長城修築工事を行っていた。動員される農民たちにとっては辛く悲しいものであった。長い間、家族と別れ、苛酷な労働に服さなければならなかった。あまりにも苛酷な労働のため、生きて帰ることのほうが至難のことであった。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。戦国時代、各国は「友好関係」を保持するために、人質を交換する習慣があった。子楚は秦から趙に人質として送られた王子であった。人質は両国間に事が起これば、殺される運命であるから、不遇な存在である。そんな子楚に目をつけたのが、趙の大商人呂不韋(りょふい)であった。呂不韋は商人として道をきわめたので、政治に携わりたいと考えていた。彼は子楚を秦王とすることによって、政治にかかわろうとした。呂不韋はそんな思いをこめて、不遇な生活をしている子楚をなにくれとなく面倒をみる。呂不韋の愛人に趙姫なるものがいた。子楚は趙姫に目をつけ、譲り受けた。このとき、彼女は呂不韋の子を宿していたが、それを秘して子楚のもとに行った。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。中国史のみならず歴史に女性のはたした役割は大きい。彩ったというような表現は適当ではないが、中国史(中国では正史に女性が登場することはほとんどない)では傾城の美女とか権力の権化の悪女とか薄幸のヒロインという形で登場する。男性中心の歴史の中で、事件に綾を添えた存在でしかない。自ら権力を握り、権勢を欲しいままにした二人の女性がいた。呂后と武后である。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。宦官とは何か。中国史で必ず登場し、大きな役割を果たした宦官とは何か?宦官の歴史、様々なエピソードを書いてみる。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]アウストラロピテクス 骨角器 旧石器時代 メソポタミア文明 トウモロコシ 甲骨文字 封建制度 諸子百家 戦国の七雄 郡県制 万里の長城 劉邦(高祖) 郡国制 武帝 張騫 均輸法・平準法 劉秀(光武帝) 冊封体制
東京書籍(株) 社会編集部
漢高祖劉邦は,『史記』には「姓劉氏字季」とあるのみである。『漢書』でも「姓劉氏」で,やはり「邦」の字はみられない。『漢紀』に至ってようやく「姓劉氏諱邦字季」とある。なんと生まれてから約400年後に劉邦という名前が完成したのである。東アジア世界・中華帝国の誕生・秦漢帝国。
山形中央高校 加藤亨