教科書の単元から資料を探すページです。
高校生を対象としていますが,もう一度歴史を学んでみよう,ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。「より知りたい」と思う生徒が「しっかり」学びうるよう内容の充実をはかり,topicsに「資料」や「コラム」的なものを配して,興味関心を喚起することに努めています。
北海道立命館慶祥高等学校教諭 斎藤忠和
高校生を対象としていますが、もう一度歴史を学んでみよう、ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。「より知りたい」と思う生徒が「しっかり」学びうるよう内容の充実をはかり、topicsに「資料」や「コラム」的なものを配して、興味関心を喚起することに努めています。
北海道立命館慶祥高等学校教諭 斎藤忠和
中国では,かつて革命史に基づく善玉/悪玉史観が強く,孫文を善玉として清や袁世凱を悪玉として描き出すことが多くありました。さらに批判的に描かれたのが「軍閥」と称される人々です。しかし「軍閥」=「悪玉」と一括りにしてよいのでしょうか。本稿では,この「軍閥」が歴史的に果たした役割や悪行を紹介しながら,従来の歴史観に一石を投じています。
東京大学准教授 川島真
高校生を対象としていますが,もう一度歴史を学んでみよう,ちょっと世界史を覗いてみたいという方にも役立つ高校社会科の資料です。「より知りたい」と思う生徒が「しっかり」学びうるよう内容の充実をはかり,topicsに「資料」や「コラム」的なものを配して,興味関心を喚起することに努めています。
北海道立命館慶祥高等学校教諭 斎藤忠和
撮影年月:2001年5月15日、撮影場所:北京宋慶齢記念館の前、撮影者:張国強。宋慶齢が晩年住んでたところです。現在、記念館として一般開放されています。この屋敷は愛新覚羅溥儀(ai xin jue luo fu ji 、アイシンジュエルオフゥイ、あいしんかくらふぎ)の生まれたところでもあります。
中国からの留学生 張国強
撮影年月:2001年3月24日、撮影場所:南京、撮影者:張国強。日露戦争で情勢が緊迫するなか、1911年12月29日南京では臨時大総統の選出が行われ、17省の代表によって、孫文が正式に臨時大総統に選ばれました。翌1912年1月1日、南京で臨時大総統の就任式が行われました。写真はその時の中華民国臨時政府が置かれた場所で、孫文が執務した部屋を見ることができます。
中国からの留学生 張国強
日本の世界史教育において,「中国とは?」と歴史的視線から問いかけることは,いかなる場面においても必要である。もしこの問いが高校の世界史教育の現場で発せられなければ,日本の中国理解が深まることはないだろう。日本の世界史教育には大きな社会的責任があると同時に,新たな日中関係を切り拓く人材を輩出するという相当に大きな醍醐味があることを,社会全体で認識できれば幸いである。
津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授 中村元哉
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]日米和親条約 日清修好条規 琉球王国 日朝修好条規(江華条約) 壬午軍乱 甲申政変 崔済愚 甲午農民戦争 日清戦争 閔妃 義和団事件 日英同盟 ポーツマス条約 憲法大綱 三民主義 袁世凱 大韓帝国 義兵闘争 安重根 朝鮮総督府
東京書籍(株) 社会編集部
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]アンボイナ事件 海峡植民地 オランダ領東インド 清仏戦争 フランス領インドシナ チュラロンコン(ラーマ5世) ドンズー(東遊)運動 ファン・ボイ・チャウ ホセ・リサール アギナルド アウラングゼブ マラータ同盟 プラッシーの戦い カーナティック戦争 シク戦争 インド大反乱 ラクシュミー・バーイー インド国民会議 ティラク スワラージ スワデーシー イギリス商品のボイコット(排斥) 民族教育
東京書籍(株) 社会編集部
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]国民国家 ビスマルク セシル・ローズ 南ア(ボーア)戦争 第三共和政 世界政策 3B政策 3C政策 シベリア鉄道 ポグロム シオニズム運動 米西戦争 門戸開放宣言 パナマ運河 セオドア・ローズヴェルト 金融資本 帝国主義 租借 鉄道敷設権 移民
東京書籍(株) 社会編集部
世界史A・一問一答問題集より。それぞれのファイルは,問題1ページ,解答1ページの2ページ構成になっています。ご指導の中でご活用ください。[キーワード]カピチュレーション タンジマート ミドハト憲法 青年トルコ(統一進歩委員会) カージャール朝 トルコマンチャーイ条約 タバコ・ボイコット運動〕 イラン立憲革命 アルジェリア チュニジア ロンドン四国会議 スエズ運河 レセップス アフマド・ウラービー ベルリン会議 サモリ・トゥーレ マフディー運動 ファショダ事件 英仏協商 モロッコ事件
東京書籍(株) 社会編集部
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。十九世紀後半の朝鮮は諸外国、とくに清・日本・ロシア三国の侵入を受け、その中で朝鮮の独立を如何に保持していくか模索するときであった。そのため、清についたり、日本についたり、ロシアについたり、王朝内部も派閥争いで大揺れに揺れているときであった。李氏朝鮮王朝では、哲宗に継嗣がなく、王族の中から高宗(在位1863~1907)が選ばれ、11才で即位する。王が幼少ゆえ、王の父大院君が、摂政として実権を握る。大院君は内政改革を実行し、一定の成果を挙げたが、外交的には極端な鎖国攘夷策を推進した。そのため、外国との摩擦がしょつちゅう起きていた。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔
高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。1910年、日本は韓国を併合する。「日韓併合は円満なうちに行われた」ということを言い、物議をかもし、発言を取り消すという醜態を演じた政治家がいるが、事実を見れば明らかである。日本は朝鮮民族をなだめるために、さまざまな方策をとっている。その一つとして行われたのが、李朝王家と日本皇族との結婚である。日鮮融合の範を示そうというわけである。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔