教科書の単元から資料を探すページです。
チャールズ ロバート ダーウィン (Charles Robert Darwin),英国,1809-1882,科学者人物誌―生物。イギリスの大進化論者チャールズ・ダーウィンは,1809年2月12日にイングランド西部シルスベリに生まれた。リンカーンの誕生と同じ日である。父は開業医として成功しており,母は有名な陶器会社を創立したウェッジウッドの娘で,裕福な家庭であった。後にダーウィン自身もウェッジウッド家の出である従姉と結婚した。生物の進化論はダーウィン以前からだんだんに現われてきており,実は彼の祖父エラズマス・ダーウィンは進化論の先駆者の一人であった。チャールズの生まれた時には祖父はすでに亡く,遺著は家にあってチャールズはそれを読んだがあまり大きな影響は受けなかったという。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
現在、地球上には学名が付けられているものだけでも150万種、まだ発見されていないものを含めると1億種以上の生物が生息していると考えられています。今回はセキツイ動物の分類と進化についてお話します。
筑波大学教員免許更新講習講師 鈴木伸男
サー チャールズ ライエル (Sir Charles Lyell)英国,1797-1875科学者人物誌―生物ライエルは科学史上,二つの点でとくに重要である。一つは,地質学を真に科学として確立したことであって,その意味で近代地質学の父と呼ばれる。もう一つは,ダーウィンの進化論の成り立ちのために大きな役割を担ったことである。この二つは互いに関連している。ではこのイギリス人科学者の生涯を見よう。チャールズ・ライエルは1797年11月14日,スコットランドに生まれた。昆虫好きの少年だったが,19歳でオックスフォード大学に入学し,そこでバックランド教授の地質学に興味をもった。大学卒業後,いったんは弁護士の資格をとり,短期間その仕事をした。しかし同時に地質学の研究を進め,1822年(25歳)に最初の論文を地質学会で発表して認められた。国内や外国を旅行して研究を重ね,30歳からは地質学に専念した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
ヘッケル(生物学者)東京書籍作成Ernst Heinrich Philipp August Haeckelドイツ,1834-1919科学者人物誌―生物東京書籍2003年11月作成ドイツの生物学者。メルゼンブルクの行政顧問官を父としてポツダムに生まれる。若い頃から植物標本の収集に関心を持ち,同時に絵を描くことを好んだ。両親の勧めで医学を学んだが好まず,医学の科学的な基礎を探求する方向を選んだ。ベルリン,ヴュルツブルク,ウィーンの医学部で学んだが,関心は比較解剖学と発生学にあり,ルドルフ・フィルヒョウの機械論的生物学にも影響された。1857年にベルリン大学で医学博士号を,動物学の論文によって得た。1859年から翌年にかけて地中海で放散虫についての研究を行い,『放散虫』(1862年)を刊行した。この研究が認められて1861年にイェナ大学医学部の比較解剖学講師となり,1862年に同大学哲学部の動物学員外教授に,1865年には正教授に昇格して同時に動物学研究所の所長にもなった。その職に1909年に退官するまで留まった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司
アルフレッド ラッセル ウォーレス (Alfred Russel Wallace)アメリカ,1823-1913科学者人物誌―生物東京書籍2002年10月作成ダーウィンと個別に自然選択説に到達し,また世界の生物分布の区画の上で重要なウォーレス線に名を残しているイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォーレスは1823年1月8日にウエールズの,ある村に生まれた。家は貧しくて十分な教育は受けられず,少年時代から兄たちに従い,ロンドンその他の土地で測量や建築の手伝いをし,やっと生活していた。しかし独学で勉強を続け,とくに植物学など博物学に興味をもった。やがてレーセスターの中学校で,わずかの時間教えるという些細な職を得た。そのころ図書館で昆虫学者のヘンリー・ウォルター・ベーツ(1825-1892)と知り合いになり,親しくなって,二人で南アメリカへの採集旅行を計画した。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司