[本文より]太一は,父のかたきを討つために,瀬の主を追い求めてきたわけではない。「海のいのち」は,父を殺された息子が一人前になり,かたきと対決するという成長=復讐譚ではないのである。このことを肝に銘じておかないと,いたずらな混乱に陥りかねない。なぜなら,この小説のクライマックスシーンで太一が出会った瀬の主は,ほんとうに父を破った瀬の主なのかという疑問が,読者の胸の内に必ずや生じるからである。太一は父の最期を仲間の漁師から聞かされただけで,瀬の主を直接に見たことがない。事故からもそうとうの年月がたっている。彼が出会った瀬の主に,父のもりの付けた傷跡が残っていたわけでもない。なにより「これが自分の追い求めてきたまぼろしの魚,村一番のもぐり漁師だった父を破った瀬の主なのかもしれない」というように太一自身,確信を持てないことが明示されているのである。
弘前大学教育学部国語教育講座准教授 山本欣司