弥生時代中期、銅鐸(どうたく)・銅剣(どうけん)・銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)などの青銅器の生産が近畿地方以西の各地ではじまる。写真は、兵庫県神戸市生駒遺跡出土の銅鐸で、高さ52.8cm。銅鐸の名称は、和銅6年(713年)「続日本紀(しょくにほんぎ)」と「扶桑略記(ふこうりゃっき)」天智天皇7年(668年)にみられる。銅鐸の用途については、農耕祭祀のための「鐘(かね)」とする考え方や、地中に埋めて、地霊や穀物の豊穣(ほうじょう)を祈り祭るための祭祀とする考え方などがある。(資料写真は国立歴史民俗博物館所蔵、兵庫県生駒遺跡出土のもの)
国立歴史民俗博物館