半田市の赤レンガ建物は、1898(明治31)年、「カブトビール」の工場として建設された。1944(昭和19)年第二次世界大戦中に、中島飛行機製作所の衣糧倉庫とり、戦後は、日本食品化工(株)の工場となった。1994(平成6)年工場の操業を終え、1996(平成8)年より半田市の所有となる。その間、1944(昭和19)年12月の東南海地震、1945(昭和20)年1月の三河地震、1945(昭和20)年7月の半田空襲の苦難を経て現存している。写真(1)(2)は、半田空襲のときの米軍機の機銃掃射の跡が生々しく残っている貯蔵庫の壁面である。
愛知県名古屋市 井上隆夫