[トルコ]エフェソスの遺跡、撮影年月:1998年09月、撮影場所:イズミル南部。写真(1)エフェソスは紀元前10世紀に興った都市国家のひとつであるが、現存する遺跡は紀元前3世紀以降のものが大部分。これは「ヴァリウスの浴場」と呼ばれる紀元前2世紀に建設された公衆浴場の跡である。冷水用、ぬるま湯用、熱めの湯用などの浴室と休憩・談話などのための広めの別室が用意されていたという。写真(2)商取引の中心だった教会堂跡に残っている列柱を再現したもの。上部の装飾と縦に襞の入っている柱がオリジナルである。柱上部の装飾模様は「イオニア式」と呼ばれるも。写真(3)「クレテス通り」と呼ばれるメインストリートに面している神殿上部の装飾。写真(4)「セルシウスの図書館」として知られる遺構である。117年の創建とされる。当時はアレキサンドリア、ベルガモンに次いで世界第三位、12万冊の蔵書を誇った。蔵書を湿気から防ぐ工夫など、当時最新の技術が利用されていたことでも知られる。この威厳と風格あるファサードはエフェソス遺跡中の白眉とされている。写真(5)「セルシウスの図書館」として知られる遺構である。117年の創建とされる。当時はアレキサンドリア、ベルガモンに次いで世界第三位、12万冊の蔵書を誇った。蔵書を湿気から防ぐ工夫など、当時最新の技術が利用されていたことでも知られる。この威厳と風格あるファサードはエフェソス遺跡中の白眉とされている。写真(6)「エフェソスの大劇場」として知られる遺構である。紀元前3世紀に建設され、増改築を重ねて2万4千人収容の大劇場となった。画面手前に見えている列柱は、当時のエフェソスの港に続く「アルカディアン通り」の両側に建てられていたものである。港に到着し、エフェソスの街に向かう旅人は、この豪華な列柱の大通りを進みながら、正面の丘に聳える大劇場に圧倒され感激したことであろう。当時の劇場は、ふつう総人口の十分の一を収容できるように設計したという。最盛期のエフェソスの人口は25万人と推定されているので、丁度適切な規模であったことになる。
神奈川県 野町亘