「通信使」とは、朝鮮国王が書契(国書)及び礼単(進物)をもたせて将軍のもとに派遣した外交使節団で、「朝鮮通信使」「(朝鮮)信使」「(朝鮮)来聘使」「御代替わり信使」ともよばれた。江戸時代には12回来日し、3使(正使・副使・従事官)のもとに300~500人の大使節団を編成した。通信使の行列を画題としたものは多数描かれたが、本資料は1682(天和2、<朝鮮暦>粛宗8)年か、1711年(正徳元<朝鮮暦>粛宗37)年の通信使を描いたものと推定されている。ご注意:このPDFファイルのデータはセキュリティーがかかっていて、編集・加工・印刷は禁止になっています。閲覧専用です。資料説明は、佐賀県立名護屋城博物館総合案内による。
佐賀県立名護屋城博物館