ジャン バティスト ピエール アントワーヌ ド モネ,ジュヴァリエ ド ラマルク(Jean Baptiste Pierre Antoine de Monet,Chevalier de Lamarck )
フランス,1744-1829
科学者人物誌―生物
東京書籍2002年10月作成
パリのセーヌ河畔,オーストリッツ駅に近いラマルク広場に,生物学者ラマルクの銅像がある。ジャン・バティスト・ピエール・アントワーヌ・ド・モネ,ド・ラマルクという長い名前をもつラマルクは,ダーウィン以前に生物の進化説を提唱した著名な学者であったが,その一生は不運の連続であった。ラマルクは1744年,パリの北方120㎞のアルベールに近い寒村バザンタンに生まれた。父の命令によってイエズス教会の学校に入ったが,のちに中途退学して軍人となり,戦場に赴いて病に倒れ,退職してパリで保養し,健康を取り戻して銀行員となったが,性格に合わないので辞職し,屋根裏部屋で貧しい生活をしながら,好きな自然研究を始めた。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司