シュトラスブルガー(生物学者)
Eduard Adolf Strasburger
ドイツ,1844-1912
科学者人物誌―生物
ドイツの植物学者。当時ロシア領だったワルシャワにドイツ系商人の長男として生まれる。1862年にパリのソルボンヌで2年間学び,ボン大学で植物学の研究を行い,顕微鏡を使う技術を習得した。そして,イェナ大学のナタナエル・プリンクスハイム(Nathanael Pringsheim)と親交を結び,その助手としてイェナ大学に行った。そこでエルンスト・ヘッケルに影響を受け,進化論者となった。1866年にイェナ大学で哲学博士号を取得,1869年プリンクスハイムの退官によってイェナ大学の員外教授となり,1871年には正教授となった。1881年にはボン大学の正教授となり,ポペルスドルフ城にあった植物学研究所で植物細胞学の研究を続け,1912年に亡くなるまでその職に留まった。1891年から1892年にかけてボン大学の総長にもなった。
東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司