東書Eネット

東書Eネット

パラケルスス(化学者)

  • 化学
  • 授業プリント・ワークシート
公開日:2003年02月02日
パラケルスス(化学者)

パラケルスス(化学者)

東京書籍作成

Philippus Aureolus Theophrastus Bombastus von Hohenheim Paracelsus

ドイツ,1493年頃-1541年

科学者人物誌―化学

東京書籍2003年2月作成

近代初頭ドイツの錬金術師・医学者。本名はフィリップス・アウレオルス・テオフラストス・ボンバストス・フォン・ホーエンハイム.パラケルススとはホーエンハイムのラテン語訳とも古代ローマの医学者ケルススを越える(パラ)という意味とも言われる。スイス国境近くのアインジーデルンに生まれた。父親は遍歴の医師であった。ドイツ・イタリアなどの大学で学んだとされるが,確証はない。1515年頃イタリアのフェラーラ大学で医学博士号を取ったとされるが,パラケルススはその証拠を示さなかった。学位取得後ヨーロッパ中を遍歴して,大学で教えられる学術的な医学だけでなく,各地に残る民間療法的な医学の知識を吸収した。遍歴を終え1524年にザルツブルクに定住を望んだが,政治的理由で1527年にその地を離れざるをえなくなった。逃げ出した先のスイスのバーゼルで有名な出版業者フローベンの治療に成功したことから,バーゼル大学医学部に地位を得ることができた。この時,講義をラテン語で行う通例を破ってドイツ語で行い,中世以来大学の学術的医学を代表してきたアヴィセンナの著作を炎に投じるなど,有力な医師たちを敵にまわす行動をしたために激しい攻撃に遭い,翌年には再び脱出を余儀なくされる。その後,ドイツ各地で騒動を繰り返し,最終的にはザルツブルクに戻って死亡した。

東京大学大学院総合文化研究科 岡本拓司

資料ファイル

  • html

    html

    htm/9.0KB

非会員の方は公開から一年を超えた資料は閲覧出来ません。会員登録をすると、全期間の資料を閲覧できます。

戻る

関連する単元のリンク

おすすめの資料