デカルト(物理学者)
東京書籍作成
Ren du Perron Descartes
フランス,1596-1650
科学者人物誌―物理
東京書籍2003年6月作成
フランスの哲学者・数学者。フランス北西部のラ・エ(今日はデカルトという)に生まれる。法衣貴族の息子であり,父親の遺産を受け継いだために,生涯働く必要がなかった。ラ・フレシュにあったイエズス会の学校で中等教育を受け,ポワチエ大学で法学の博士号を得て,知見を広げるために,1618年オランダ南部の都市ブレダでオランダの指導者マウリッツ公の軍隊に加わる。翌年北欧・東欧を旅行して自らの哲学の基礎について考察を深め,フランスに帰国後,数学者として知られるようになった。1629年からはオランダに移住し,解剖学なども研究した。1633年にコペルニクスを支持する宇宙論の著作を発表しようとしたが,同じ頃ガリレオが『天文対話』で太陽中心説を叙述したことでローマ教会に断罪されたのを知って,出版を見合わせた。1637年に『方法序説および3試論』をフランス語で発表,大きな反響を巻き起こした。この著作に有名な「我惟う故に我あり」が含まれる。その後,諸学問の基礎を主に論じた『省察』(1642年),自らの自然学を教科書風に記した『哲学の諸原理』(1644年)などを発表した。デカルト哲学に無神論の疑いを持ったユトレフト大学神学教授ウォエティウスによる抗議が政治問題化し,友人で弟子でもあった医学者ヘンリクス・レギウスとの論争が起こるなど,オランダの状況がデカルトに厳しくなったため,スウェーデンの女王クリスティナに招かれて1649年にオランダを離れた。けれども,北欧の厳しい気候のためストックホルムで病にかかり1650年に亡くなった。死後,宇宙論と天文学の著作『世界論』(1664年)と生理学の著作『人間論』(1662年)が出版された。
東京大学大学院総合文化研究科講師 岡本拓司