高校生を対象として,授業の中身を豊かなものにする読み物,文も平易に記述してあります。
西太后は満州人葉赫那拉氏恵徴(ようかくならしけいちょう)の娘として、1835年に生まれた。葉赫とは満州人の一部族名(この部族はヌルハチに滅ぼされた部族で、葉赫氏は死に臨んで「我が一族のうち、女の子一人でも残ったら、必ずあいつらを滅ぼしてみせるぞ」という呪いを残した。西太后はこの部族出身なのだ)であるが、那拉はモンゴル人の部族名であるから、西太后にはモンゴルの血が流れていたといえる。恵徴は旗人の末端に連なる下級官吏であった。兄二人、妹一人の家族であった。妹の名は蓉児(ようじ)で、蓉児は後に奕けん(えきけん)と結婚し、載てん(さいてん、後の光緒帝)を産む。西太后の幼名は蘭児。
名古屋市立向陽高等学校 野田隆稔