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和歌は難しいか現代短歌と『源氏物語(若紫)』

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  • 実践事例
公開日:2007年01月11日
和歌は難しいか現代短歌と『源氏物語(若紫)』

[本文より]「文法は分かっているのに古文が読めない」…三年生になって授業の進度が速くなってくると,そう訴える生徒が続出する。中でも物語文学が難しく,和歌が出てくると特にいけないのだという。和歌には作中人物の思いが込められており,それが理解できないということは文章そのものが理解できていないということであるから,これは困った事態である。しかし,彼らは本当に分かっていないのだろうか。ただ,和歌という形式に戸惑いを感じて,分かることを止めてしまっているだけではないのだろうか。その証拠に,教師が丁寧に解説すれば彼らはその場は難なく理解するのである。問題は,彼らが和歌を難しいもの,とても高尚で自分たちには縁遠いものと思ってしまうことにあるのではないだろうか。そこには次の二つの壁が立ちはだかっているように思われる。第一は和歌という形式が作る壁。第二は時代の違いが作る壁。この二つの壁を破りたいと考えた。

対象は,私が古典講読を担当している三年生の三クラスである。源氏物語の若紫の巻に,幼い若紫の行く末を案じて歌った尼君の和歌に女房が応える場面がある。これを授業で読んだ後にも「自分一人では読めない。和歌は難しい」という声が聞かれた。そこで次のような授業を試みた。

愛知県立明和高等学校 黒田あつ子

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