『とはずがたり』原文全文
「新調日本古典集成」『とはずがたり』(福田秀一)の解説要約
・昭和15年 宮内庁図書寮(宮内庁書陵部)にあったものを山岸徳平氏が発見。
戦時中は研究が許されなかった。昭和25年『桂宮本叢書』の一冊として刊行され,その後研究書が相継いだ。
・瀬戸内晴美『中世炎上』
・大岡信脚色 実相寺昭雄監督映画『あさき夢みし』
*巻末の切り取り注記について
初めの「本ニ云フ」の二字を含めて作者自身の手になるものではないか,と考えている。作者の一種のポーズないしジェスチャーであるが,似た例として,平安初期の貞観三年に転写した旨の書写奥書などを付した『松浦宮物語』(藤原定家作と推定されている)のケースがある。『松浦宮物語』の場合は古代の作と見せかけるためで,韜晦の意図・目的は多少違うようであるが,『とはずがたり』においても,作者自身が末尾に偽作の切取注記を加えることで巻末末が全篇の末尾であると断定されることを避け,作品全体の構成の不十分--もしそれが読者の目に映ったとき--に対する逃げ道を残すと共に,この作品が少なくとも一度の転写を経たように見せかけてその内容に一種の客観性--他人に読まれ書写されたという事実は,客観視の一証となる--をも与えようとしたものとは見られないであろうか。
*「おぼえさせ言はします」について
この語は,「思ふ」やその尊敬語「おぼす」と内容的にはおなじことを述べるのに用いるけれども,用法はまったく違う。「思ふ」「おぼす」は,そのように思う人を主語とするのに対して,「おぼゆ「おぼえさせおはします」等は,そう思われる内容・対象等を主語とする。英語に直してみれば,前者はthinkとなるのに対して,「おぼゆ」はseemに当たるのである。(略)「(・・・と))おぼえさせおはします」の場合は,御産の結果なり斎宮なり院なりのことが,私(作者)にこれこれと思われなさる,の意である。
作成:和田清志
提供:2001年4月
一太郎V10文書ファイルで,全340ページあります。
千葉県立市川東高等学校 和田清志