ニューサポート高校「社会」vol.37(2022年春号)より。最近、教育でも政治でも社会でも「対話」が声高に推奨されている。あらゆる方面で「対話」の必要性が語られ、ソフトなタッチでその実践が謳われている。だが、対話とは何か、私たちは本当に分かっているのか。すくなくとも、それがどのようなものか、反省されているようには見えない。対話は難しく、大きな危険がある。対話に挑む困難と危険性を意識する者だけが対話を行うことができる。私たちは「対話」と口にするたびに、実は分かった気になっているだけかもしれない。
東京大学教授 納富信留