デジタル教科書の使い方

白鴎大学教育学部長・教授/東京工業大学名誉教授

赤堀侃司

我慢の教育と楽しむ授業

教育には,どこか我慢の思想がある。それは,日本人のメンタリティーに合っている。任侠映画で主人公が我慢に我慢を重ねて,最後に怒りを爆発させるシーンで,観客は喝采の拍手を送った。半沢直樹の銀行マンの物語も,敵の策略に我慢をしながら,歯ぎしりしながら戦略を練り,最後にどんでん返しをするという同じパターンで,読者や視聴者を夢中にさせ,空前の大ヒットとなった。

ソチオリンピックで銀メダルを獲得した41歳の葛西選手に拍手を送るのも,永い選手生活で耐えてきた精神力に感動したからである。オリンピックだけでなく,学校の部活動の大会で,勝っても負けても涙するのも,耐えてきたことへの賛辞であり,共鳴である。

苦しい受験勉強に耐えて,晴れて大学の門をくぐる時,受験生は歓喜すると共に,感動する。このように考えると,耐えることや苦しむことは,何かを乗り越えるためには必須の経験のような印象がある。それは,教育の思想と言ってもよい。教育は,人を高く上げる,努力させる,困難を乗り越えさせることを,目標の1つとしているからであるが,教育はそれだけではない。

かつての教育は,教師は黒板とチョークで説明をし,生徒は,教師の説明を聞きながら丁寧にノートし,その過程で我慢という精神力を養っていた。しかし現代の教室は違っている。スクリーンに映像を映し,わかりやすく説明をし,教師は,笑顔を見せながら,生徒との距離を小さくしながら,授業をするようになった。デジタル機器,電子黒板,デジタル教科書などの導入は,そのわかりやすい授業を促進させる道具であった。

私の参観したALTの授業では,生徒たちは意気揚々として,活発である。スクリーンに投影したデジタル教材を使って,教室を沸かせる。簡単なドリルでも,正解や誤答によって得点が変化するゲームでは,提示される問題毎に,生徒は歓声を上げて夢中になって授業に参加していた。いや,授業であることさえも忘れている。それは,耐えることでも苦しむことでもなく,楽しむ授業であった。教師と生徒の距離が小さい授業である。

ルールをきちんと順守する意識を持たせれば,それは,新しい授業観であり,教育観である。どの分野においても専門家と呼ばれる人は,苦しみながらも研究や競技をどこか楽しんでいるのではないだろうか。そうでなければ,我慢だけでは永くは続かないからである。

今日の教育は,我慢する教育と,楽しむ授業の両方が求められている。だから黒板とチョーク,そしてデジタル教材が必要である。

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