「日本史探究」ダイジェスト版
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第3編 近世の日本と世界178浮世絵富嶽三十六景(葛飾北斎)東海道五十三次(歌川広重)源頼光公館土蜘作妖怪図(歌川国芳)文人画鷹見泉石像(渡辺崋山)洋風画不忍池図(司馬江漢) おもな美術作品  『東とう海かい道どう五ご十じゅう三さん次つぎ 庄しょう野の』(歌川広重筆,東京国立博物館蔵)  『源みなもとの頼より光みつ公こう館やかた土つち蜘ぐも作ようかいをなす妖怪図ず』(歌川国芳筆,慶應義塾図書館蔵) 源頼光とみせかけて,実は将軍家いえ慶よし(一番右)や水みず野の忠ただ邦くに(右から二人目)らを批判した絵だという噂うわさが立った。 『鷹たか見み泉せん石せき像』(渡わた辺なべ崋か山ざん筆,東京国立博物館蔵)  『富ふ嶽がく三さん十じゅう六ろっ景けい 凱がい風ふう快かい晴せい』(葛飾北斎筆,東京富士美術館蔵) 510 浮うき世よ絵えでは,葛かつ飾しか北ほく斎さいが大だい胆たんな構図と緻ち密みつな描びょう写しゃによって,さまざまな題材のぼう大な作品を発表し,歌うた川がわ(安あん藤どう)広ひろ重しげは,街かい道どう沿いや各地の名所,江戸の風景などを叙じょ情じょう豊かにえがいた。歌川国くに芳よしは,風ふう刺しの精神に富んだ奇き想そう天てん外がいで色彩豊かな作品によって,人気をえた。 文ぶん人じん画では,19世紀前半に田た能の村むら竹ちく田でん・谷たに文ぶん晁ちょうらが出て最さい盛せい期を迎えた。長崎から西洋絵画の技法と油絵の具が伝えられると,司し馬ば江こう漢かん・亜あ欧おう堂どう田でん善ぜんらが油絵に取り組んだ。江漢は平ひら賀が源げん内ないに学び,銅版画も始めた。この時期,商品流通の発展を受けて,三さん都とと地方の城下町,そして村々のあいだで,人々の交流が活発になった。この動きを通じて,大都市で生まれたさまざまな文化が,地方の富ふ裕ゆうな人々のあいだに広がり,やがて庶しょ民みんにも普ふ及きゅうしていった。1760~18491797~18581798~1861➡p.1701777~18351763~18401747~18181748~1822➡p.172地方文化の発展22文化史のページでは,資料を豊富に掲載していま32Point各時代の代表的な建築や美術・文学作品などの一覧表を掲載しています。

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