「日本史探究」ダイジェスト版
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第4編 近現代の地域・日本と世界242 『サラリマン物語』 作者の前まえ田だ一はじめ自身が東京帝国大学を卒業して三みつ井い財ざい閥ばつの会社で働く「サラリマン」だった。その働き方の特徴を読みとってみよう。 なるほど一ちょっと寸見たところでは、サラリマンの生活は、気楽で金になる結構なものに相そう違いない。事務所に出勤しても、午前九時から午後四時までの勤務時間、それも汗あせみどろになつて労働する訳でもなし、瀟しょう洒しゃたる恰かっ好こうでペン軸じくを眺ながめて居いれば一日の業終へたりといふ按あん配ばい、おまけに日曜、祭日は存ぞん分ぶんに骨ほねも延のばせる、殊ことに二日続きの休日ともなれば、家族同伴で、やれ活動、やれ芝居、やれ郊外散歩と洒しゃ落れて居られるし、それで居て月の終おわりには給料が這は入いる、中元、節季には賞与も出る、時期が来たならば昇しょう給きゅうもあるといふのだから、全まったく見やうによつてはたまらなく羨うらやましい次第であるかも知れぬ。…(略)しかし、果はたしてサラリマンとはそれほど呑のん気きで結構づくめの輝かがやかしい社会的存在であるだろうか。 「御堂筋」の拡かく幅ふく工事(1930年ごろ) 撮影者が乗っている飛行機の翼つばさが左側にみえる。道路の建設が地域にあたえた影響を考えてみよう。❼ 開発の中心は土地整理を通じた街路や公園などの整備であったが,公営の住宅,水道,市場なども建設された。市街地の拡大はやがて,都市による周辺町村の合がっ併ぺい(市域拡張)につながった。 職業婦人の登場 1919年に落らく成せいした東京市外電話交換室で働く女性たち。第一次世界大戦以降,都市への人口集中や市街地の拡大により,交通・衛生・治ち安あん・経済などの面で,都市問題が発生した。1919(大正8)年に都市計画法が制定され,郊外をふくむ開発が始まった。1923年9月1日におこった関東大震災は東京や横浜に大きな被害をもたらした。震災後,復興事業によって都心部の道路が拡かく張ちょうされ,鉄製の大規き模ぼな橋が新設された。また,都心からのがれた人々が移住したことにより,市街地が郊外へと拡大した。 都市の風景は変化した。東京では,1914年に東京駅が開業し,1923年には駅の正面に丸まるノ内うちビルヂング(丸ビル)が完成した。1925年に環かん状じょう運転を開始した山やまの手て線せんの駅からは郊外へ向かう私鉄が発着し,1927(昭和2)年には東京地下鉄道が開業した。バスやタクシーも普ふ及きゅうした。大阪では,都市計画により幅44メートルの街路「御み堂どう筋すじ」が整備され,市営地下鉄の建設も進み,大阪城天てん守しゅ閣かくが鉄骨鉄筋コンクリートで建設された。 都市では,企業や官公庁で事務職や専門職に従事する俸ほう給きゅう生活者(サラリーマン)が増加した。彼らは新中間層とよばれ,仕事と生活の場が分けて考えられるようになった。郊外に居住し,都心に通勤して月給をえる男性の稼かせぎ手,家事と育児に従事する妻,教育を受けて愛情をそそがれる子からなる家族を構成するのが典型的な生活とされた。主婦の像が定着する一方で,教師・タイピスト・電話交こう換かん手しゅ・バス車しゃ掌しょうなど一部の職種では女性の就しゅう業ぎょうが拡大し,そのような女性は職業婦人とよばれた。 都市に生活する人々は,新しい消費文化の担い手でもあった。大阪を拠きょ点てんとする阪はん神しん急行電鉄(阪はん急きゅう)は,鉄道以外に不ふ動どう産さん・百貨店・宝たから塚づか歌か劇げきなどの事業を行った。そして,郊外に居住して都心の事務所や学校へ通い,百貨店で買い物をしたり,郊外のレジャー施設で余よ暇かを過ごした都市化の進展と大衆文化❼➡p.317➡p.321510152018 「読み取りの視点」で,資料読解をサポートします。1資料の説明文には,資料を読み取るときのポイントを問いかけの形で示した「読み取りの視点」を設置しています。資料活用力の育成2Point「護憲」という言葉は何をあらわしていたのだろうか。選挙権の拡大はなぜ行われ,また,その意義と限界は何だろうか。政党政治とデ第4編 近現代の地域・日本と世界246 米騒動(『米騒動絵巻』,徳川美術館蔵) 群衆と鎮ちん圧あつに出動した軍隊が衝突 第ーはに対191402468024681916191819201922192419261928193019321934万人件数百件051015万人0246千件年参加者数件数参加者数件数労働争議小作争議 労働争議と小作争議(『近代日本経済史要覧』)  大戦前後の物価(『金融事項参考書』『近現代日本経済史要覧』) このグラフから,米騒動がおこった背景を読みとろう。また,とあわせてみることで,何がわかるだろうか。0150501002002501912193619301920米価指数消費者物価指数男女平均実質賃金指数❶ 米価の安定のために政府が米の売買,貯蔵,貿易制限などを行うことを定めた。第一事・た社会問題への対応が課ヨーロッパで,国民の民こともその背景にあった 大戦景気によって米べい価かおしみのためと考える人発生し,女性たちの米穀に,全国各地で暴動がお不安の解消につとめた。 1912年に鈴すず木き文ぶん治じらがその社会的な地位を向上ていた。しかし,1921年利益を守る立場から,労年には初のメーデーが行た。農村では賀か川がわ豊とよ彦ひこらて小こ作さく料の減げん免めんなどを要社会運動の高まり1885~19461888~1960

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