「世界史探究」ダイジェスト版
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❸ 充実のコラム類で歴史をもっと身近に追放した。そして1649年には国王が処しょ刑けいされ,共和政が樹立された。これがピューリタン革命といわれる。 クロムウェルは水平派を弾だん圧あつする一方,王党派の強いアイルランドと,長老派の本ほん拠きょ地ちであったスコットランドを征せい服ふくした。以後,アイルランドのカトリック住民は,イギリス人不在地じ主ぬしの支配に苦しむことになる。この間,共和国はオランダの中継貿易に打だ撃げきを与えるため,1651年に航Navigation Act海法を定め,オランダと戦った[第1次イギリス=オランダ(英えい蘭らん)戦争]。クロムウェルは,内外の難局に対処するため,1653年に護ご国こく卿きょうとなって軍事独どく裁さいを強め(→p.110)1642~49(→p.251コラム)(1652~54)Lord Protectorイギリス生まれのラグビーやサッカー,ゴルフの国際試合を見ると,日本代表は日本チームである。これはあたり前のことである。ところがイギリス代表は,イギリスではない。かわりにイングランドや,スコットランド,ウェールズなどの名前が出てくる。これはなぜなのだろうか。 日本でいうイギリスは,現在の正式名称では「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」(略して連合王国)という。イギリスは,複数の国から構成されているのである。そもそも日本でいう「イギリス」というよび方は,アングロ・サクソン系のイングランド王国からきている。しかしイングランド王国は,はじめからブリテン島全体を支配していたわけではなかった。ヘンリ8世がローマ教会から自立しようとしたころには,まだまだ小国でしかなかった。そのイングランドが周辺のケルト系のウェールズやスコットランド,アイルランドなどを併へい合ごうや征服することによって,1801年以来,現在の連合王国になったのである。 そのため,各地域の独立意識は強く,現在のスコットランド議会は中央政府から課税権と立法権を認められている。しかし,17世紀にクロムウェルによって征服されたカトリックのアイルランドでは,独立問題に宗教や民族問題がからみ,深しん刻こくな紛ふん争そうがつづいた。(→p.62)(→p.251コラム)イギリスは存在しない会)。フランスベルファスト エディンバラ ロンドン 北海大西洋マン島北アイルランドウェールズスコットランドイングランドエール(アイルランド)0400kmグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国イギリスとその植民地の輸入品の運うん搬ぱんはイギリス船に限り,ヨーロッパ諸国からの輸入はイギリス船または産出国か最初の積み出し国の船に限定した。重じゅう商しょう主義政策(→p.214)の一つであった。210| 第13章 主権国家体制の形成と地球規模での交易の拡大1520253035ほかにも・ヨーロッパの人名 (教科書p.64)・大伴古麻呂の席次争い (教科書p.95)など▼ 教科書p.210▼ 教科書p.343▲ 教科書p.379グローバル化にともなって生じた課題にはどのようなものがあり,そうした課題はなぜ生みだされたのだろうか。う世界の変容ローバル化はいっそう進展し,それ会は大きな変化をとげつつあるが,まな課題に直面するようになった。生,貧ひん困こん,ジェンダーなどの課題で諸課題)が共有され,持続可能な発かということが重要になっている。で貧ひん富ぷの差が拡大したことがあげら直面しているという面もある。第三ル化が結びついて人類社会に新たな論理を用いて社会統とう制せいを強化したり主義的な傾向がみられ,国際政治でられはじめた。化は,民主主義,自由,人権などの視という傾向をともなって展開し,ールや世界標準(グローバル・スタた。これには一国が固有の制度や慣かんことは困難だという認識もあった。方で規範や価値観の標準化をすすめや価値観,あるいは標準への反発を,そもそもグローバル化が世界の人々いうことがある。情報化の進展のなょうから利益を受け段をもたず,経グローバル化に大傾向にあり,なっているといすすんだことで,よって,一国の済金融市場の脆ぜいえば,1990年代機が発生したほか,界金融危機がお(→p.375)377)生物学的な意味で性差を示すセックスに対し,ジェンダーは社会的・文化的な性差を意味する言葉として用いられる。投機的資金の代表的なものは,ヘッジファンドとよばれる資金だが,新しん興こう国や先進国でも特定の組織や団体が巨額の資金を維持・増加させるために投機を行うことが少なくない。これらの課題には,国連などの国際機関だけでなく,地域統合組織,国家,地方自治体,企業,NGO,個人など,さまざまな主体が取り組むことが求められている。リーマン・ショックによる世界同時不ふ況きょう(2008年,ブラジル) グローバル化は,人の移動をいっそうおしすすめたが,それにともなう摩ま擦さつも多く発生するようになった。安あん価かな労働力を求めて生産拠きょ点てんが世界各地に移ると,出稼ぎ労働者もそれにともなって移動し,豊かな先進国には途上国からの移民が増加した。これにより多くの交流が生まれ,移民文学など新しい表現のジャンルもおこったが,一方で,各国では民族構成が多様化し,移民の言語や価値観を同質化しようとする同化主義と,多様な文化を認め,共きょう存ぞんをめざして文化摩擦を解消しようとする多文化主義とがせめぎあうことになった。また,先進国で産業の空くう洞どう化がすすんで失業問題が拡大すると,移民労働者と国内の労働者との対立が深刻化し,そこに民族差別や宗教観の相そう違いなども加わって,さまざまな社会的分断や争いが生じるようになった。移民と摩擦3793791 グローバル化にともなう世界の変容 |アジア諸国の独立と脱植民地化3第二次世界大戦終結後,植民地支配はどのように再開され,また独立した国はどのような課題に直面したのだろうか。植民地統治の再開と「独立」の困難第二次世界大戦の最さ中なか,アジア,アフリカでは宗そう主しゅ国から独立しようとする動きがみられた。終戦後,敗戦国の植民地は連合国に接せっ収しゅうされ,南北朝鮮のように独立した国もある一方で,台湾のように中国の一部として統治されたところもあった。戦勝国の植民地では,終戦後に植民地支配が再開されたが,なかにはインドのように,戦争中の独立運動が実を結び,独立を達成する国もあった。 ヨーロッパで形成された冷れい戦せんが世界に拡大する過程では,植民地の独立も深くかかわることとなり,アジア・アフリカの植民地が独立する際はしばしば武力が用いられた。植民地の独立戦争も冷戦期の「熱い戦争」の一つであった。 独立を達成した国は政治的に宗主国から独立し,国家間関係である外交関係を結ぶだけでなく,経済の面でも宗主国を中心とする経済圏から自立していくことなど,植民地としての性格を払ふっ拭しょくすることをせまられた(脱植民地化)。しかし,独立後も旧宗主国の大学への留学を若者が志すなど,言語,教育,文化なども含めて宗主国から自立することは容易ではなかった。ゆれ動く中東中東では,大戦前から大戦中にかけて,すでにアラブ諸国が独立を果たしていた。一方で,新たに建国されたタイ日本イエメン=アラブサウジアラビアイランアフガニスタン中華人民共和国ソヴィエト連邦ブータンネパールモンゴル人民共和国トルコイラク台湾べトナム民主共和国べトナム共和国べトナム国19761971196119461960194619491948196719711971194719711965194819711965196319491955195319481947194519491984194619481948モルディヴインドオマーンパキスタンバングラデシュシンガポールブルネイフィリピンべトナム社会主義共和国マレーシアカンボジアインドネシアスリランカ(セイロン)ミャンマー(ビルマ)パキスタン大韓民国バーレーンイスラエルアラブ首長国連邦イエメンカタールクウェートレバノンキプロスシリアラオス朝鮮民主主義人民共和国ヨルダン香港(B)マカオ(P)02000km第二次世界大戦後の独立国(数字は独立年)第二次世界大戦後のアジア(1984年時点) 図p.373 植民地の独立運動では,地理的な区画や構成員にもとづく「国民国家」としての独立を求められることが多かった。政治的独立のほかに,経済的,文化的な自立も必要とされた。そのため,植民地から独立した国のなかには,ナショナリズムを強調したり,内政不干かん渉しょうを強く唱えたりする国が少なくなかった。 しかし,言語などをはじめ,鉄道から経済構造にいたるまで宗主国によってきずかれた社会的,経済的なインフラストラクチャーは強固で,そこからぬけだすのは容易ではなかった。また,国内の民族対立をおさえつつ,言語,歴史,文化などを「共有」する「国民」を創出する必要にもせまられた。植民地の独立の困難植民地統治を負担に考えた宗主国が,むしろその独立を促うながすこともあった。イギリスを宗主国としていた国々が独立後もゆるやかな連れん携けいを保つようなことや(コモンウェルス),紛ふん争そうや災害が生じると旧宗主国が支し援えんすることもみられた。34334351015203 アジア諸国の独立と脱植民地化 |ほかにも・覇者イギリスのアキレス腱 (教科書p.251)・クルド人(教科書p.312)など興味・関心を引き出す現代の諸課題の背景を理解する22

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