き,東南アジアの香こう辛しん料りょうと交こう換かんするためにインド綿めん布ぷを買いつけた。こうして,オランダ東インド会社は大交易時代の後半における最も有力な交易勢力となった。一方,アンボイナ事件でモルッカ諸島から追いだされたイギリス東インド会社は,インド・イギリス間の交易に注力するようになり,インド各地に拠きょ点てんを置いた。東アジア世界の変容16世紀後半以降,明ミンには膨ぼう大だいな銀が流入して貨か幣へい経済が進展するとともに,商品生産がいっそう活発になったが,諸物価の高こう騰とうがおこり,貧ひん富ぷの差が拡大した。このように,アジアにもたらされた銀は,大きな社会変動をもたらし,明の支配をゆるがした。 17世紀に入ると,中国東南部の沿岸地方に,強力な武装商業勢力が出現した。その一つである鄭てい氏しはオランダと結んで日中交易を営み,明滅めつ亡ぼう後は,鄭てい成せい功こうが清シンの支配に抵抗した。鄭成功は,1661年にはオランダから台湾を奪い,ここを拠点に清に対抗しつつ,日本と中国,東南アジアを結ぶ交易を行った。 活かっ況きょうをみせた南シナ海・東シナ海交易も,17世紀の中ごろから,東アジアにおしよせた価格革命が収しゅう束そくするとともに,明清交代期の社会不安もあって,衰すい退たいしはじめた。日本は,国内体制の防ぼう衛えいのために1641年に鎖さ国こく政策を徹てっ底ていして,きびしい貿易統とう制せいを行った。清も,鄭氏の反抗を封じこめるため,1661年に遷せん界かい令れいを公布し,朝ちょう貢こう以外の海外交易をきびしく統制した。オランダ東インド会社は,交易拠点である台(→p.209)(→p.178)(1624~62)(→p.195)(→p.195)(→p.177)(→p.196)500(t)0400300200100160105160610161115161620162125162630163135163640164145164650165155165660166165166670167175167680168185168690**日本銀メキシコ銀*の年は不明(5年間合計)(年)オランダ東インド会社の造船所(ロッテルダム) 会社は,政府の特許状により,交易の独占権のみならず,条約の締てい結けつ,自衛戦争,要よう塞さい構こう築ちくなどの権限をもっていた。日本,フィリピンから中国に流入した銀(推計値) 17世紀には日本銀の流入が増大し,これは中国にも価格革命をひきおこした。184| 第11章 大交易時代と世界の一体化5101520❺ 紙面の大判化で資料を豊富に掲載写真は約670点,地図・グラフ・文字史料等は約250点と,多彩な資料を豊富に掲載しています内容に集中しやすい,シンプルで明るいデザイン16
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