大交易時代の世界5大交易時代に,なぜオランダが最も有力な交易勢力の一つになったのだろうか。ヨーロッパ世界の変容ヨーロッパ勢力のアジアやアメリカへの進出は,ヨーロッパ内部にも大きな変動をもたらした。 第一に,イタリア商人が独占していた地中海経けい由ゆの東方交易にくわえて,大西洋交易や,喜き望ぼう峰ほうをまわるインド洋交易が発達した。これとともに,北イタリアなど地中海沿岸の港こう市しや,そこに銀を供きょう給きゅうしていた南ドイツの諸都市にかわって,リスボンやアントウェルペン,アムステルダムなど大西洋沿岸の諸都市がしだいに国際商業の中心となっていった(商業革命)。 第二に,アメリカ大陸から大量の銀が流入して,価格革命とよばれる物価騰とう貴きがおこった。これは,停てい滞たいしていた経済活動に活気を与え,「繁はん栄えいの16世紀」をもたらした。農村にまで貨か幣へい経済が浸しん透とうすると,農民の一部は経済力をつけて領主から自立するようになった。すでに固定額の貨幣地ち代だいが普ふ及きゅうしていた西ヨーロッパでは,貨幣価値の下落は領主層に大きな打だ撃げきを与え,封ほう建けん社会の崩ほう壊かいを促進した。 第三に,大西洋沿岸のネーデルラントやイギリス,フランスが経済的先進地域になるとともに,東欧のドイツ東部やポーランドは,西欧から毛け織おり物ものや奢しゃ侈し品を輸入し,かわりに穀こく物もつや原材料を輸出する地域となった。このため,ドイツ東部のエルベ川以東の領主層は直営地を拡大し,それまで比較的自由であった農民を土地にしばりつけ,輸出用穀物をつくらせる農場領主制(グ(→p.133)(→p.209)太平洋太平洋イ ン ド 洋大西洋マラッカ海峡スンダ海峡アカプルコセビリャアントウェルペンエルミナモンバサカリカットマカオマラッカゴアコロンボ平戸ホルムズマニラモザンビークポトシリスボン銀銀銀奴隷奴隷奴隷銀銀絹など絹生糸香辛料・絹工業製品火器など象牙など砂糖工業製品ムガル帝国オスマン帝国明モルッカ諸島アフリカラテンアメリカスペイン人の支配領域スペイン勢力の拠点スペイン人のおもな交易ポルトガル人の支配領域ポルトガル勢力の拠点ポルトガル人のおもな交易ムスリム商人の海の交易路たとえば,アムステルダムの人口は1500年には約1万人だったが,1600年には約6万人,1622年には約10万5000人,1700年には約20万人と大発展した。小麦100ℓあたり(対数目盛り)バルセロナパリワルシャワ(ヨーロッパ54か所の小麦価格の集計)平均価格最低価格最高価格銀(g)100501014501500160017001750(年)ヨーロッパの小こ麦むぎ価格の推移16世紀に大きく上昇し,経済が停滞した17世紀には低落傾向を示す。16世紀には,スペインなどが高いが,やがてパリなど北西ヨーロッパの都市が高くなる。東欧はたえず最下位にある。都市間の格差は何を反映しているのだろうか。農民の自由化がすすむ西欧とは逆の動きがみられた。これを再さい版はん農のう奴ど制とよぶ。17世紀初頭の世界の交易 世界が各地の特産品の交こう換かんを通じて,緊きん密みつに結ばれるようになった。 図p.21418118151015205 大交易時代の世界 | 本文記述資料を読み取る視点を提示(→p.26)ポイント豊富な資料と歴史の流れがわかる記述1グラフや地図は,カラーユニバーサルデザイン(CUD)に対応しています13
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