「詳解歴史総合」ダイジェスト版
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東アジアの国際秩序の変化と日本の開国19世紀のアジア・太平洋地域の変容と西洋諸国のこの地域への進出は,どのようなかかわりがあったのだろうか。6 開港後の清シンと日本の輸出品・輸入品には,どのような特徴があるだろうか。48 第1章2節 結びつく世界と日本の開国■ 2日本の貿易構造 ■日本(1867年)輸出輸入生糸53.7%綿織物25.3%その他40.6%毛織物22.4%綿糸9.0%艦船 2.7%蚕種22.8%その他 6.8%茶16.7%■ 1清の貿易構造 ■清(1868年)輸出輸入茶53.8%アヘン33.1%その他36.4%綿製品29.0%綿糸 2.5%絹・絹製品39.7%その他 6.6%■アヘン戦争~アロー戦争の諸条約こう         しゅうこう こうホン コンぼっ しゅうへん むさい けい こくペ キ ンじょうちゅうない ちひ じゅんきゅうりゅうほ しょうばい  しょうかつ じょうシャン ハイ南京条約 1842年,対イギリス広州,上海など5港の開港公行の廃止香港島の割譲没収アヘンの補償,軍事賠償片務的領事裁判権協定関税片務的最恵国待遇ナン キン五港通商章程,虎門寨追加条約 1843年,対イギリスしょう ていこ もん さい外交使節の北京常駐キリスト教の公認と保護外国人の内地旅行権開港場の増加と貿易の自由イギリスとフランスへの賠償金支払い天津条約 1858年,対イギリス,フランス,アメリカ,ロシア天津条約の批准交換賠償金の増額天津の開港九龍半島の一部をイギリスに割譲北京条約 1860年,対イギリス,フランスてん しん■東アジアの国際秩序の変化 イギリスは茶の輸入で支払う銀を回収するためにアヘンを清シンに輸出していたが,清は,広こう州しゅうでのアヘン貿易取り締まりの方針を打ち出し,アヘンの没ぼっ収しゅう・廃はい棄きを行った。イギリスはこれに反発し,自由貿易を理由に1840年,清との間でアヘン戦争が勃ぼっ発ぱつした。軍事力で優位に立つイギリスは清を破り,1842年に英清間で南ナン京キン条約が結ばれた。これによって清は広州に加え,上シャン海ハイなど全5港の開港を認め,香ホン港コン島をイギリスに割かつ譲じょうした。 ついで,1856年には,英・仏両国と清との間に戦争がおき(アロー戦争),清は1858年の天てん津しん条約,1860年の北ペキン京条約で,開港場の増加と貿易の自由,外交使節の北京常駐,外国人の内地旅行などを認めた。これらの条約は清の関税自主権を認めず,領事裁判や最さい恵けい国こく待遇の条項を一方的に欧米諸国に与える不平等条約だったが,清は不平等条約とは認識していなかった。 清の開港により,東アジアは世界経済との結びつきを強めた。清への輸入品はアヘンと綿めん製品が中心で,清からはおもに生き糸いとと茶が輸出された。その結果,清では輸出のための一次産品の生産が増加していった。 これと並行して,1851年から,民衆反乱である太たい平へい天てん国ごくの乱が清国内に広がった。その鎮ちん圧あつにあたっては,地域社会の住民が武ぶ装そうして自衛したり,地方官かん僚りょうが独自の軍隊を組織したりして,これがのちの清の軍備増強の背景となった。5101520『詳解歴史総合』から資料:多種多様な資料をもとに身につけた資料活用能力は,探究科目でも大きな力を発揮します。本文:近現代史の大きな流れをわかりやすく記述。探究科目での深い内容理解へとつながります。「日本史探究」へ26Point 3 入試・探究に対応する力を「つける」❷ 「日本史探究」「世界史探究」の土台を築く東京書籍『日本史探究』p.188

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