教科化の動き
特別支援への対応

神戸山手短期大学准教授村上加代子

―小学校英語と特別支援教育(1)―
“みんなにわかる”外国語活動を目指して

 H28年4月より,いよいよ「障害者差別解消法」が施行されます。これによって,これまで「前例がない」などの理由で実施していなかった個別の合理的配慮は,今後は法律違反ということになりかねず,子どもたちの学習ニーズを把握し適宜柔軟に対応することが,これまでにも増して重要な課題となってきました。


(出典:内閣府ホームページ
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/sabekai/leaflet1.pdf)

 学校においては児童生徒の学びへのアクセスを保証することが第一の目的ですので,学校側としては今の時点で何ができるか・できないかを考えるのではなく,まずは今年度担当となる児童生徒一人一人のニーズを正しく把握し,学校全体としての取り組みと学級や個々の児童生徒を対象とした取り組み等を整理し,保護者や専門機関と連携を取りながら,柔軟に,かつ誠実に対応することが期待されています。

 しかし,教員が児童生徒の個別のニーズに対応するといっても,なかなか難しいですね。子どもたちが抱える困難の状態や背景はそれぞれ大変異なっています。例えば,肢体不自由なお子さんと,知的障害,発達障害のあるお子さんでは,必要な支援の質が異なるでしょう。そして分類上は同じ障害種であっても,その程度や困難の内容が全く違うことが多いため,これも一括りにはできません。さらに困難の背景には家庭でのDVやネグレクトといった家庭環境の影響も十分考えられます。それらの状況を教員がすべて把握し,個別の対応となると,頭が痛くなりそうですね。教員側の物理的な問題として,クラスサイズが30名以上となると,子ども一人ひとりに向かい合う時間そのものが足りません。
 それが,生徒への適切な対応を実施する際にも大きな障壁となっていると考えられますし,教員個人の力量や努力といったところでは対応できない部分が大きいのです。ですが,こうした現状の中でも最善策としてできることはなんだろうかと考え,教員にとっても,子どもたちにとっても「今よりもベター」な改良や対策を考え,実行していく必要があるでしょう。

 この連載では,特別支援教育の視点や指導の工夫と同時に,通常学級で実施できるユニバーサルデザイン(以下UD)の工夫についても考えて行きたいと思います。
 UDとは「できるだけ多くの人が利用可能なデザイン」が基本的な考えであり,道路での目の見えない人のための点字ブロックや,日本に来る外国の人向けに公共施設の案内に文字だけではなく絵文字を用いるなど,対象とする人のニーズを想定し,より多くの人にアクセスしやすい工夫が行われています。学校においては,施設全体や設備などのハード面に加え,授業のカリキュラム構成を含む指導に関するソフト面でこうした配慮を取り入れていくことが求められています。
 しかしそれも難しく考えず,「クラスの中に他の子どもたちと比べて,授業や活動に参加が困難な状態の児童生徒はいないだろうか」と見直すところがスタート地点になろうかと思います。
 保護者からの要望があれば尚更ですが,そうでなくても,困っているのは子どもであるという観点を忘れてはいけません。「みんなに合わせられないのだから仕方がない」という考え方は,冒頭に述べた差別解消法に抵触する問題へとつながっていきます。ですから困難児童に気づいた際には,「もしかして,こうすればこの子も参加できるかも(個別の配慮)」といった工夫を少しがんばりたいところですね。そしてそれが「他の子にとってもメリットがある(全体の利益)」に結びつくようであれば,自分の学級だけでなく,学年全体,あるいは学校全体で共有できるUDシステムの財産として,蓄積されていくのが望ましいでしょう。
 つまり,教育現場におけるUDは,「こうしなさい」というトップダウンの指示を待つのではなく,学級に存在している子どもの困り感や状態といった個々のニーズを担当教員が気づき,受け止め,それを全体の利益につながる工夫として学校全体や教科担当にシェアするといった,個から全体へのボトムアップの働きかけが非常に重要なのです。
 UDの視点は,特別支援教育が基本となると言われているように,一人一人の個別のニーズを把握し,その困り感をどのように解消していくかという視点が基本となります。

 では,実際の英語教育の場面において,どのような教育的ニーズがあるのでしょうか。小学校での外国語活動は,単元ごとにいくつもの要素を含んだ活動で構成されています。特に小学校の英語学習は,聴覚,視覚,運動感覚など様々な感覚刺激をインプットに用いた多感覚学習が基本ですので,それだけでもずいぶん広い範囲の子どものニーズに対応しています。
 人間には,外部からの情報の受け止め方に大きな個人差があることがわかっています。ですので,例えば授業で教員が生徒に同じような刺激を与えたつもりでも,生徒がどの部分を,どのように,どの程度受け止めたかはわかりません。
 教育といった場面においては,投げる側の責任は大きいのです。どのような受け手であっても受け止めてもらいやすいよう,調整し,合わせていくことが大切です。たとえば「絵や文字など目からの情報の理解が得意な子」,「言葉,音楽,リズム等耳からの情報の理解が得意な子」,「実際に体を動かしたほうが理解できる子」もいれば,「段階的な説明が必要な子」,「自分であれこれ工夫するのが得意な子」,「みんなでわいわいするのが得意な子」もいますし,それぞれ「それが苦手な子」というのも存在していますね。わかりやすい授業には受け手の感覚に寄り添うといった要因も含まれているのです。

 教員の指導がどれか1つの刺激(例えば口頭での説明のみなど)に偏ると,それが苦手な子どもにとっては既に不公平な立場に置かれているのです。例えば一般的に口頭での説明が多い先生は,ご自身も聴覚の理解が高い傾向があるように思われます。また,児童生徒の主体的で体験的な学びのスタイルを増やす先生,視覚的に内容が掴みやすいような図や絵を多用されている先生もいるでしょう。それは先生ご自身もそのほうがわかりやすいと感じていることはないでしょうか。
 これも一般的な話ですが,人は自分の主観的な感覚が基本となっているため,他人の感覚に対する想像力にも限界があります。教員の立場で考えると,自分にはない感覚を持っている児童生徒のための指導方法はなかなか思いつきません。「なぜ自分のやり方でこの子は学べないのか」と悩むこともあるでしょう。
 そのため,自分と異なった視点を持つ他教員との情報共有は,指導の幅を広げるためにも有益ですし,効率的です。指導のやり方は1つではなく,いくつものアプローチを用意しておき,子どもに合わせられるように幅を広げていくことが最も大切です。投げる側の教員が受け手に対応できるよう「できるだけ多くの回路を用意し」,自立を目指すのであれば「受け手に選択させる」余裕を持つことが理想的なのです。

 英語学習上での子どものつまずきも,自分にわかりやすいタイプと,わかりにくいタイプがあるかと思います。
 発達障害のある子どもたちは,見えにくく理解されにくいだけでなく,従来の「きちんと座って先生の話を聞く」,「課題を言われたとおりにこなす」のが難しい場合も多く,理解がされにくい受け手です。ですので,まずは従来の指導の型にはまらない,発達障害のお子さんを念頭に置いて,タイプごとに,

①文字の読み書きに関するつまずき,
②聞く活動に関するつまずき,
③コミュニケーションや行動に関するつまずき,

 の3分野に分けて,これから事例なども交えながら話をしていきたいと思います。

 1年間の連載となりますが,どうぞよろしくお願いします。

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