上智大学 名誉教授笠島 準一

未知の外国語の世界に飛び込むと

 外国語を教える人は,自分が知らない外国語を学んで生徒の気持ちを知るとよいと言われることがある。実際に2つの外国語で試してみた。いわば,自分を被験者にして外国語習得過程の実験をしてみた。

 最初はスペイン語。30歳を過ぎてアメリカの大学院在学中に1年間,若い20歳前後の学生に囲まれて学部の授業で学んだ。全くの未習言語だった。

改めて知った英語の強み

 スペイン語を学び始めて,やはり英語は世界で通用することばになる特徴を持っていると感じた。比較的容易である。例えば,英語の動詞inviteの現在形はせいぜい3人称単数のinvitesのみに注意すればよい。しかし同じ意味をもつスペイン語のinvitarでは次のように活用する。

一人称

単数

invito

複数

invitamos

二人称

単数

invitas

複数

invitáis

三人称

単数

invita

複数

invitan

 やはり英語の方が学びやすいようだ。

 このinvitarの例からわかるように,スペイン語には英語と似ている語がある。例えばarte,necesario,repetirは英語のart,necessary,repeatとなる。ただし,このように英語に近い語はごく一部である。

 テキストは最初の課から文字が多い。最初の読み物は外国語の初習者向けとは思えない程の内容と量だった。英語話者にとっては同じアルファベットを使い,しかも一部に英語と似ている語があるため,驚くことはないのだろう。日本の生徒が初めて英語に接するときとは状況が異なる。でも,これから自分はどのような指導を受けて,どのようにして新しい外国語を学んで行くのだろうかと興味津々だった。

学びのプロセス

 授業は週5回,毎日あった。内2回は40~50人ほどのクラスで,講義式にテキストで説明されている文法の箇所を中心に学んだ。他の3回は15人ほどのグループに分かれてテキストを復習したり,口頭練習をしたり,副読本を読んだりした。毎日の授業で毎回予習か復習の宿題が課されたのは大変だった。今になって思うと,日本の小学校英語のように,最初の内だけでもスペイン語活動をしてもらいたかった。

 当時,1980年代はAudiolingual Methodが批判され,Cognitive Approach,Communicative Language Teachingへと時代が流れていた。実際の授業で学んだプロセスは先ず文法の説明を聞いてから模倣,暗記,文型練習。その後に外国語でのQ&Aやビデオの教材用ドラマ鑑賞などが続いた。

 模倣,暗記,文型練習が非難されるのは,それだけが目的になることだと思う。大人が外国語を学ぶときには経過的に避けられないと思う。だからと言ってAudiolingual Methodで教わったり学んだりしたわけではない。最初から読み書きをしたし,文法も意味もわかっていたし,無意識化できるほどの量の文型練習はしなかった。

 授業中で好きな活動はQ&Aだった。単純だけれども自分が話している気分になれた。完璧な文で答えなくても一種のコミュニケーションをしたことになる。難しかったが面白かったのはビデオのドラマだった。視聴しておくことが宿題として課され,見て行かなければ授業に参加できない。このドラマは初級者向けなのだがテキストとは関連がなく,私には聞き取りや理解は難しかった。でもストーリーはわかった。外国語を学ぶということは,すべてを理解しようとしても難しい。何となくわかる状況から理解できる表現を身につければよいのだと思ったし,今でもそう思っている。

言葉が全くわからない世界に行けば

 スペイン語の場合は英語のアルファベットを知っているので文字は困らない。その上,語彙も英語から推測できるものもある。結局,全くの初習外国語体験ではない。

そこで英語とは文字も語彙も関連のない外国語を学ぶことを考えていた。40歳頃だったか,モスクワ大学で英語関係の学会が開催されるのを知って行ってみることにした。5日間くらいだったと思う。学会では英語が通じるので心配はないのだが,街中では無理だろう。ロシア語は旅行者用の表現集くらいは学ぼうとしたのだが,結局は「ありがとう」などごくわずかしか覚えられなかった。

 真冬のモスクワ,夜遅く大学に着いた。でもキャンパスが広くてどこが寮かわからない。人もまばら。たまたま近くを歩いていた人に英語で話しかけたのだが通じない。初日から言葉の通じない国に行った場合の実験が始まった。

 仕方がないので明かりの見える建物に行こうとしていたら,人の声が聞こえた。モスクワ大学の学生で,日本語を学んでいるとのこと。日本語で話しながら寮まで案内してくれた。その学生に出会わなければどうなっていたのだろうか。

 夜が明けた。朝食のため食堂に行きたいのだが行き方がわからない。建物内を探していると,また人の声が聞こえた。今度は英語だった。モスクワ大学の留学生とのこと。食堂まで一緒に行ってくれた。異国に住む外国人同士という一体感からか,心が通じ合う感じがした。

 広くて大きな食堂に着いた。でも注文するまで長い列で待たなければいけない。やっと注文する番になった。言葉が全くできないので指をさして注文すると,売り子が何かロシア語で話している。全くわからない。言葉ができないと本当に困る。

 実はこのような状況でどのように振る舞うのかを知るためにロシアに来たのだった。そこでストラテジーを使い,食べる物なら何でもよいと思って違うものを注文してみようと考えた。するとまた人の声が聞こえた。すぐ後ろに並んでいたロシア人の学生が英語で説明してくれたのだった。どれだけの分量が欲しいのかと尋ねていたようだ。何を注文したのかは覚えてないが,自国の文化では想像もつかないことが起こっていたのだった。

奮闘記は中略して結末へ

 いよいよ帰国する日になった。英語で退寮手続きをしてタクシー乗り場を教えてもらったのだが,建物が複雑なため迷ってしまった。道案内くらいのロシア語は覚えておけばよかったと後悔した。航空券を見せると空港に行きたいことがわかってもらえるだろうかなど,あれこれ考える。ジョーク好きの若い学生だったらわざと反対の方向を教えるかもしれない。実は日本で以前,学生ではなかったのだが,道を尋ねた人から間違った道順を教えられて困ったことがある。

 前方に学生がいて,こちらに向かってくる。ドラマでしか起こらないような偶然が起こった。その学生は食堂に案内してくれた,あの留学生だった。まさに渡りに船。その上,驚きながらもなつかしい表情を見せてくれた。私もうれしかった。今回もわざわざ乗り場へ連れて行ってくれた。その上,ドライバーと運賃の交渉までしてくれたのだった。車の中から,真っ白な雪景色の中で彼の手を振る姿が見えなくなるまで手を振り続けたのは今でも鮮明に覚えている。

 本来は外国語の習得過程を冷静で客観的な視点から見つめようとしたのだった。でも,異国での人の親切心の有難さを痛感してしまうと,冷静で客観的なプロセスは取るに足らないものになってしまった。

 結局私の実験は失敗した。でもいつか,誰かに試みてもらい,その成果が発表されるのを待ちたい。失敗だったが改めて考えさせられることが2つあった。実際のサバイバル・レベルの語学力についてが1つ。もう1つは,今は流暢に外国語を話す帰国子女が異国の地で言葉がわからないときに感じたと思われる心の内の一端だった。共に日本にいるだけでは体験できなかったことと思う。少なくともそう思って実験は無駄ではなかったと思いたい。

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