上智大学 名誉教授笠島 準一

子供が接する英語

 グロータース神父はベルギー生まれで外国語に堪能,日本の大学で日本語の方言地理学を教えるほどだ。特に『誤訳―ほんやく文化論』は日本の英語界に衝撃を与えた。かなり以前になるが,講演を聞きに行ったとき,会場で爆笑が起きたことを思い出す。

さて,これまで言語について大学生たちに講義をする機会があるたびに,私はいつも「外国語をおぼえるコツを教えましょうか」と申し出たものです。学生は皆,喜んで鉛筆をもって構える。そこで私はおもむろに宣言します。「親を選ぶことです!」(グロータース 1998)

 テーマはバイリンガリズムだったので,「親」とは異なる言語を話す両親のことを指す。

 このように両親が異なる言語を話す環境は,二つの言語を身につけるためには理想的かもしれない。ただ,子供のときから外国語に接することに関しては否定的な見解もある。でも全体的に考えると,子供の方が大人よりも外国語を身につけるのが上手なようだ。なぜだろうか。

 このことを私なりに調べようとして,まだ若い頃,家族を連れてアメリカに行き,大学院に留学し,4歳の子供が英語を身につける過程を記録した。滞在4ヵ月,7ヵ月,8ヵ月,10ヵ月の4時点のデータを利用した。滞在7ヵ月目から保育園に行き,英語の環境が変わったため,その前後3ヵ月となる4ヵ月目から10ヵ月目の変化を調べたことになる。知りたかったのは次のような点だった。

  • 英語が話せないときには英語での会話はどのようにするのだろうか。
  • 滞在が4ヵ月にも及べば自分のことを言ったり,相手に質問したり,依頼したりするなどの会話行為はで きるようになっているのだろうか。
  • 滞在が10ヵ月になると,最初は言えないことでもかなりのことが言えているはずである。英語が身についたからこそできる会話行為にはどのようなものがあるのだろうか。

データに取り組む

 滞在4ヵ月目の会話の一部は次のようだった。Aはアメリカ人の調査協力者,Jは4歳の日本人被験者を表す。

 A: Did you enjoy the garden we went to yesterday?

 J: Here’s (. . . unintelligible . . .). See that?

 A: Yes, very good. Oh, you put your hair in pony tails.

 J: Yeah.

 このようなデータが揃い,いよいよ論文をまとめる段階となった。でも大変なことが起こってしまった。4ヵ月目の時点で,既に10ヵ月目と同じことを行なっていたのだった。10ヵ月目だからこそ言えるようになっていたことは見つからなかった。研究は失敗だと落胆した。

 でも,見方を変えると新発見だった。4歳の子供は日本語ができている。日本語でできていることは英語でも行おうとしているのではないかと考えた。その英語は非文法的かもしれない。Look.のような単語だけの発話かもしれない。尋ねられたことに対して正しく答えていないかもしれない。でも会話は進行していた。

 ふつうの語学教育の考え方は,まず語彙や文構造を段階的に指導して,その後に正しい文を実際の場面で使わせることになる。でもこの4歳の子供が実際に耳にする英語の語彙や構造は,日本の英語教育の観点からはとても段階的とは言えない。その上,口にする英語は正しさに注意を払っているとは思われない。でも会話は進行している。つまり,ふつう常識的に考えていたような,まず正しい表現を学び,次に実際の場面で使う,という順とは真逆のことが起こっていた。

子供が接する英語の質と量

 なぜ真逆と思ったのだろうか。よく考えれば,私たちはそのようにして母語を学んだのだった。第二言語習得・会話分析の先駆的な研究者である Evelyn Hatch はこの過程を取り上げ,子供が,例えば水槽にいる魚を指して “This.” と言うだけで,大人は次のような言葉をかけると指摘している。

What? Fish. What’s this? It’s a fish. Where’s the fish?
Whose fish is that? Is that yours? How many fish are there?
What color is it? What’s the fish doing? He’s swimming.
Can he swim? No, it’s not a fish.

 親やベビーシッターが子供にこのような話しかけをしている様子が思い浮かぶ。子供は聞こえた言葉,あるいは言葉の一部を時々繰り返すことがあるが,そのような様子も目に浮かばないだろうか。英語であれ,日本語であれ,子供にとってはこのようなインタラクションは語彙や文構造を身につける過程の一つである。

 4歳の日本人幼児の英語に戻ろう。確かに滞在4ヵ月目と10ヵ月目とでは,特定の一つの視点から観察した場合には差がなかった。でも相違する点もある。語彙や文構造は豊富になっていた。

 例えば Yes/No 疑問文の場合を取り上げよう。(   )内は録音中に使われた回数を, VPVerb Phrase を表す。

滞在4ヵ月目 滞在8ヵ月目
Rising intonation (17) Rising intonation (16)
. . . OK? (5) . . . OK? (1)
. . . all right? (2) . . . all right? (5)
. . . right? (2) . . . right? (1)
Did you hurt? (1) Do you VP? (3)
Is this there? (1) May I VP? (2)
Can you VP? (1)
Would you VP? (1)

 確かに4ヵ月目よりも語彙や文構造は身につけているようだ。でもここで,どのくらい英語に接しているのかが気にならないだろうか。

 小学校英語では年35時間や70時間だが,この被験者は「週」に39~58時間程度英語に接していた。中でもテレビを見ていた時間が圧倒的に多く,週に23~28時間程度だった。接触量は桁違いだ。よく English as a Second LanguageEnglish as a Foreign Language が同じか異なるかの議論がなされる。少なくとも inputexposure の視点からはこれほどの差がある。このようなことを考えると,日本ではどのようにして効果的に英語と接触する機会を増すのか,その工夫が益々重要となるだろう。

もし一対一で子供に英語を教えるとすると

 子供が母語を習得している過程を思い出したい。子供なりに,さまざまな思考や工夫をしていることは知られている。英語の文献では,正しく went を使っていても goed と言う時期を経て,最後に正しくwentと言える例や,発音では rabbit と言えないので最初は wabbit と発音する例などが紹介されている。

 日本語でもそのように,子供は苦闘・工夫しているはずだ。親子間で起こった2つの実例を見てみよう。

 親:栓抜き持ってきて。

 子: (フー,フー言いながら)重い!

 栓抜きは小さくて軽い物なのに,なぜ重いのだろうか。

 実はその子は「栓抜き」を「扇風機」と聞いたようだ。暑い中,重い物を引きずりながら運んでいたのだった。

 次の例で,最初に親が子に何と言ったのか,想像がつくだろうか。

 親:(?)

 子:ああそうか。いつもどうして新聞にはタモリと書いてあるのかと思ってた。

 親が言った言葉は,新聞を指して「これは夕刊」だった。確かに横書きにしてある「夕刊」はカタカナの「タモリ」のように見える。国語の授業中なら×をもらうところだろう。叱られるかもしれない。でも言葉の習得過程では,ああ,子供はそのように考えるのかと思って,笑っていいと思う。

 音声でも,文字でも,私たちは間違いながら母語を身につけてきた。小学生に英語を教えるときは,責任ある授業を行なう教師の立場と同時に,言葉を教える親の気持ちも必要と思っている。

 あくまでも想像の世界だが,クラスには自分の子供一人しかいなくて,他の生徒については考慮しなくてよい状況を考える。そのクラスで英語を教える先生から,「どのような英語教育を希望しますか」と尋ねられたとしよう。もしそのようなことが起これば,その先生に,日本語と英語を使う家庭教師の役割と,英語だけを使って常にインタラクションをしてくれるベビーシッターの役割,つまり一人でこの二役をお願いしたい。

 以上,子供の発する英語,子供に与えられる英語,ESL/EFL,間違いをしながら言語を身につける過程について,本当にごく一部しか見てないが,それに基づいて思うことを述べさせていただいた。

■引用文献

・グロータース, W. A., 柴田武 (1967) 『誤訳―ほんやく文化論』 三省堂
・グロータース (1998) 「バイリンガリズムについて」 千野栄一(編) 『日本の名随筆(別巻93) 言語』 pp. 236-249 作品社
Hatch, E. M. (1978). Discourse analysis and second language acquisition. In E. M. Hatch (Ed.), Second language acquisition: A book of readings, pp. 402-35. Rowley, Mass.: Newbury House.
・ Kasajima, J. (1982). Conversational acts in second language acquisition: A case study of a four year old (Unpublished doctoral dissertation). Georgetown University, Washington, D.C.

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