文教大学 国際学部教授阿野幸一

英語で広がる世界 ①
「英語の授業でひらいた心の扉」

 まだ私が高等学校の教員をしていた頃なのでかなり以前の話だが,小学校で総合的な学習の時間に外国語活動が始まるに当たり,私が勤務する県立高校の近隣にある小学校に出向いて,2年間ほど英語の出前授業を行っていた。1年の間に,2つの小学校の3年生から6年生までの全クラスで最低1回は訪問して授業を行うというものである。
 高校で毎日の授業を行いながら小学校を訪問するというなかなかハードなものであったが,高校の英語の授業の合間に小学生の外国語活動のサポートをすることは,私自身にとっても大いに勉強になった。
 私が指導案を作成し, ALT を1名,さらにアシスタントとして高校生数名を連れていっての授業であった。高校生も小学生の指導をするということで,自らが英語のおもしろさを再発見するとともに,指導することの難しさも感じることができる貴重な機会となっていた。

 当時は小学校への英語教育の導入についてさまざまな議論がなされており,私自身も小学校段階から英語の授業を行うことの意義については必ずしも確信は持てないでいたのだが,この2年間の出前授業の経験を通して,小学校英語に対して賛成の立場に立つようになった。
 授業終了後には,訪問した小学校の学校長,あるいは教育委員会の担当者からさまざまな感想などをいただいていたが,今でも忘れることができない3つの報告について述べたい。

 まず一つ目は,年度末も近づいた2月の授業でのことである。そのクラスには場面緘黙の児童がいたのだが,担任が4月からこの授業当日までに,学校生活において一度もこの児童の笑顔を見ることができないでいたそうである。そんな中での外国語活動であったが,担任がこの児童の様子を観察していたところ,45分の間に2回ほどほほえみを浮かべているシーンを見かけたというのである。英語の歌“London Bridge”を大きな声で歌いながら教室内を児童が列になって動きまわっていて,歌の終了とともに非常に愉快な表情をした ALT に児童たちが捕まえられたりしていた時のことである。毎日の小学校での生活にはなかった「英語」という別世界の空間が,この児童の笑顔を引きだしたのであろう。

 二つ目は,ある男子児童の授業内での行動についてである。この児童は日常的に落ち着きがなく,例えば,体育の授業で全員の児童が朝礼台のそばに集合するためにまとまって走っていくときにも,1人で反対方向に走っていってしまうような児童である。この児童の様子は,私も授業を行いながら気にはなっていた。この児童がいるグループワークを担当した高校生は,本当に大変苦労し「疲れた」と授業後に私にも話していた。
 しかし,学級担任からの報告によると,この児童が外国語活動であれだけ活動に参加している姿に驚いたということであり,明らかに他教科の授業の様子とは違ったという話を伺った。この児童が授業での活動に適応できないのはさまざまな要因があるはずだが,多少なりとも「英語」による活動が授業に意識を向けさせるきっかけになったということだろう。

 最後は,さらに深刻な問題を抱える児童についてのものであるため,詳しく述べることは控えるが,この児童は家庭内で親と同居することが難しい状況にあり,児童養護施設から学校に通っていた児童である。担任からの話によると,親からの虐待の経験から,人に対する不信感を抱いている心理状態にあり,教室に私たち外部の指導者が入ることでどのような反応を示すかを注意深く観察していたそうだ。
 こうした中,英語の色の名前に触れるために,小さな折り紙を床に並べて数名の児童がグループになって床に置いた折り紙を囲み,ALT が “blue” “green” “red” などと単語を言うのに合わせて,カルタ取りのようなゲームを行った。ゲーム自体は,児童たちの楽しむ声が教室に響き成功に終わったが,その後に,この児童には普段では考えられない行動が起こったのである。活動が終わったところで,床に残っている折り紙,そして友達の持っている折り紙を自分から集めて,そのグループを担当した女子の高校生にまとめて差し出したのである。担任の話によると,この児童が初対面の年長者にこのような行動を取るとは思いもよらなかったとのことである。短時間にもかかわらず,「英語」を通した活動が,この児童と高校生の距離を縮める役割を果たしたのかもしれない。

 この3つの報告は,英語の知識や技能とは直接は関係のないものである。しかし,小学生の日常に「英語」という言葉,さらには異文化を持つ ALT と関わる場面などが入り込むことで,言葉としての英語学習以上の大きな影響を残したのではないかと思われる。言い換えてみれば,なかなか開かなかった児童の心の扉を,ほんの少しではあるが,開くきっかけを与えることができたのかもしれない。「コミュニケーション能力の素地を養う外国語活動,そして英語を使う空間は,間違いなく小学生の日常に新風を吹き込んでいる」とは,出前授業でお伺いした小学校の校長が言っていた言葉である。
 中学年の外国語活動はもちろんのこと,高学年で教科化となる英語の授業においても,「英語」が児童の成長を促す小学校教育の大切な一部を担っているという気持ちを持って取り組み,子供たちの心の扉を開いていきたいものである。

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