玉川大学 客員教授坂下 孝憲

肌で感じた世界のことば・文化(1) Can I have…?
―― 言語の「使用場面」と「働き」とは? ――

 私が東京都公立中学校の英語教師としてスタートしたのは,今から40年以上も前のことである。勤務し始めてから7~8年たった頃,中学校で ALT の導入が始まった。しかし,学生時代に英語の免許を取ったものの,実際に外国人講師の授業を受けたのは数えるばかりであった。学生時代に海外で学ぶという強い希望はもっていたものの様々な理由で実現できなかった。

 「イギリスやアメリカでは実際にどのような英語が使われているのだろうか。」と常々疑問をもっていたが, ALT が導入されてきたこともあり,何とか仕事をやりくりして夏休みに4週間ほどイギリスの英語学校で英語を学ぶことにした。


(帰国後描いた Chester の街並み)

 イギリスのイングランド地方で,できるだけ日本人が学んでいる確率の少ない場所ということで,選んだ場所が Chester という都市であった。そこでイギリス人の家庭にホームステイをし,学校に通うことにした。実際にその学校に入学してみると,案の定日本人2人が一週間だけ学んでいただけで,その他の期間には日本人は私一人で,当初の計画通り日本語を一切使わない生活をすることになった。私のクラスメートの出身国はドイツ,イタリア,スペイン,リビア,サウジアラビア等々,バラエティにとんでいた。また,学生はもちろんのこと,会社員からテニスプレイヤーまで様々な職業の人が混じり合っていた。今思いだすと色々なことがよみがえってくるが,ここでは英語の表現について印象に残っていることを一つだけ取り上げたい。


(学校で共に学んだ仲間)

 私がホームステイをしていたイギリス人家庭には,もう一人別の部屋にドイツからきた Cristina という女子学生がいた。彼女は,会話はなめらかであるが,文法等の筆記試験ではあまり点数がとれず,自分が思っているよりレベルの低いクラスに入れられ常々不満をもらしていた。しかし私にとっては学校までの10分ほどの登校時間はいつも一緒であり,彼女との会話から学ぶことが多かった。
 ホームステイが始まって一週間ほどしたある日,私は用事があり,どうしても鍵を借りて出かける必要にせまられた。(普段は家にはだれかが居るということで,玄関の鍵はもって歩いてはいなかった。)鍵を借りる前日の朝,いつものように Cristina  と一緒に学校までの道を歩きながら,鍵を借りる表現の話になった。「鍵を借りたいのだけれど何て言ったらいい?」と尋ねると,「“Can I have a key?” って言えばいいじゃない。」という答えが返ってきた。
 私の頭の中は,日本の学校で習う表現 “Will you lend me a key?” が真っ先に頭に浮かび,少なくともそれに近い表現が返ってくるだろうと想像していた。「貸す・借りる」という日本語が入ってきたら lendborrow 以外の単語を思い浮かべることはあり得なかった。また,私の頭の中の学校英語では, can は「できる」という助動詞, have は「持っている」という意味で凝り固まっており,とてもこの発想には立てなかった。この表現を聞いた時の衝撃は非常に大きく,私の英語教師としての人生のターニングポイントとなった。
 その後10年ほどした頃,1年間勤務校を離れて都立教育研究所で働く機会があり,言語教育理論に基づいて,日頃の授業について理論的根拠を明確にしながら見直してみることができた。この時,私がイギリスで衝撃を受けた  “Can I have a key?” を改めて考えることとなった。結論を簡単にまとめると次のようになる。

①英語の表現は「文法」という側面とともに,「言語の働き」という観点からまとめることができる。特にコミュニケーションを重視する英語ではこの観点は重要である。

〔具体例1〕
【言語の働き】「許可を求める」
【表現例】
Can I use your pen?
May I use your pen?
Could I use your pen?
助動詞 can ~「~できる」 may ~「~してよい」 couldcan の過去形」から意味を考えていくのではなく, Can I ~ May I ~ Could I ~  を同じ働き「許可を求める」で一括りにする。違いは maycould を用いると丁寧になることである。

〔具体例2〕
【言語の働き】「依頼する」
【表現例】    
Open the window, please.
Can you open the window?
Will you open the window?
Could you open the window?
Would you open the window?
文法からの視点では「命令文」「助動詞の疑問文」などと教えていくが,言語の働き「依頼する」の視点から一括りにできる。 Couldwould を使うと丁寧になる。

②have を「~を持っている」という狭い意味での使い方から抜け出る必要がある。

Do you have~?に対して,使用場面によって Yes, I do./No, I don’t. と答えることが適切でないことがある。

〔具体例〕 
・店に売っているかどうか尋ねる時(買い物の場面)
Do you have a yellow T-shirt?  Yes, we do.
・「もしペンをもっていたら貸してほしい」と頼む時(教室で先生が出席簿をつける時,生徒に頼む場面)
Do you have a pen?   Here you are.

 小学校外国語活動の学習指導要領「内容の取扱いの配慮事項」の中に,

(1)オ 外国語でのコミュニケーションを体験するに当たり,主として次に示すようなコミュニケーションの場面コミュニケーションの働きを取り上げるようにすること

また中学校外国語科の学習指導要領「言語活動の取り扱いの配慮事項」の中では,

(ウ)言語活動を行うに当たり,主として次に示すような言語の使用場面言語の働きを取り上げるようにすること

と書かれており,具体的な文例が示されている。
 この中の「コミュニケーションの働き」「言語の働き」については解説を読むだけでは理解することは難しいと思うが,私の体験をもとにして具体的なイメージをもっていただけることを期待したい。
 このエッセイを書いている頃,旅行先の越後湯沢駅のコーヒーショップで,アメリカ人と思われる家族連れが, Can I have ~? とコーヒーやマーフィンを注文している場面に遭遇し,再びイギリスでの思い出がよみがえってきた。

■参考■ Chester について

 イギリス北西部のディー川のほとりウェールズとの境にある城壁都市として有名である。人口8万人ほどの都市で,西暦79年頃にローマ人により対ウェールズ戦争に備えるための基地として城壁が建てられた時にさかのぼる。ローマ人そして中世に築かれた城壁は環状に約3㎞ほど延び,チェスター2千年の歴史を垣間見ることができる。近くの都市にリバプールやマンチェスターがある。

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