上智大学教授池田真

―ロンドンから日本の教育を考える (3)―
「グローバル人材の育成」をどうするか?

 英語にバズワード ( buzzword ) という単語がある。特定の分野で流行する専門用語のことだが,明確な定義がないことも多く,使うと何となくもっともらしく聞こえる特性がある。最近の教育分野では「グローバル人材の育成」がその際たるものであろう。政府や実業界からのトップダウンにより,大学は元より中高や小学校までその掛け声が鳴り響いている。

 では,そもそもグローバル人材とは何なのか。それを理解する手っ取り早い方法は,グローバル人材とそうでない人の生活を考えることである。端的に言うと,民族や言語や文化や宗教が異なる人と日常的に接しているか否かである。どこに住んでいるかはあまり関係ない。何年海外で暮らそうとも,現地の人と話すこともなく日本人同士でしか行動しない人たちはグローバル人材ではないし,逆に国内にいても海外からやってきた人たちと何らかの形で関わっていれば,グローバル人材たりえる。そのようなグローバル人材観を前提に,個人的体験や観察からその特徴を考えると,「4つの C 」に集約されるように思われる。

 ひとつめは Communication である。どのような職種であれ,共通の言語を介した一定レベルの意思疎通は絶対に欠かせない。好むと好まざるとにかかわらず,現状では英語でのコミュニケーション力ということになる。
 2つめは Competition である。辞書的な意味では「競争」であるが,「競争力」,「得意分野」,「強み」と言い換えてもよい。要は仕事をこなす専門能力が備わっているかである。
 3つめは Collaboration である。互いを理解し尊重して任務を進める協働力のことである。
 そして最後に Contribution がある。狭い意味では特定の業務への貢献であるが,広くは仕事を通して社会や人類の発展に寄与する心構えである。こう考えると世界を股にかけるスーパーエリートを思い浮かべるかもしれないが,それほど大げさなものではない。

 例えば,海外のどこかでボランティアで日本語を教えるとしよう。現地での意思疎通には外国語を使うであろうし,言語教育は立派な専門力であるし,現地の関係者との打合せはもとより,生徒との学びはまさに協働であるし,教えた内容は学習者の知識を高め,知力を伸ばし,異文化理解を促し,ひいては国際貢献につながる。

 この数か月で感服した例を2つほど紹介しよう。4月にロンドン屈指の高級住宅地ハムステッドでチャリティー着物ファッションショーが開催された。「ファッションショー」といってもモデルは素人の着物愛好家であるが,70人の予約席が完売し,当日は立ち見も含めて100人ほどの大賑わいであった。
 その催しのひとつに,着物に関するレクチャーがあった。仕事柄,今までに何百もの英語でのプレゼンテーションを見てきたが,あれほど印象に残るものは少ない。着物小売業の経営者によるもので,典型的な日本人英語であったが,日本人の和を尊ぶ精神,季節に対する感受性,万物の捉え方といった哲学的考察から,振袖の袖が長いのは未婚女性が伴侶を捕まえ,結婚後に短い袖の着物になるのは夫を逃がさないためといったジョークまで(観客は女性が多くを占め,この冗談を性差別と捉える向きはなかったことを申し添えておく),その内容と語り口に会場は大いに感心し沸いた。
 その様子を見て,この方は「4つの C 」を満たすグローバル人材だと思った。なぜなら,何よりも着物に関する該博な知識と経験がある。ロンドン中心部の一等地に支店を構えており,スタッフや取引先などとの協働もあろう。そして何と言っても週末の午後に集まった現地の人たちに,着物に対する理解を深めさせ,幸福を感じさせた功績は大きい。西洋に「和(ハーモニー)」という日本精神の礎かつ人類共通の普遍的価値を伝えるためロンドンで和服店を構えているといった使命感も含め,日本の伝統文化が生んだ国際人である。

 もう一例は,イギリス在住の日本人向け情報誌のインタビュー記事に載っていたロンドンの公立校で歴史科主任を務めている女性である。その記事によると,日本の私立校で日本史の先生になろうと大学で教職課程を履修したけれど,2週間の教育実習だけで教壇に立つ自信がなかったため,ロンドン大学教育専門大学院で歴史教育学を専攻した上でイギリスの教員資格を取得したのだという。英語での授業力(本人いわく,実習や就職したての頃はあの英語レベルでよくやっていたなと思うが,今は特に困ることはないとのこと),歴史教師としての専門性,様々な人種や民族からなる同僚とのコラボレーション,そして移民が多く住む裕福ではない地域での公教育への奉職,とグローバル人材の「4つの C 」がそろっている。

 ここに紹介した方たちは,個人の才覚と努力でグローバル人材になった例である。だが,そのような人材を意図的に育てることは,簡単なことではない。卑近な例で恐縮だが,我が家では一人息子に幼少期から意識的にグローバル教育を施している。小学校1~2年生をロンドンの公立校で過ごし,中学校は国内の IB (国際バカロレア)校に通い,高校生になった今はロンドンのインターナショナルスクールで学んでいる。幼い頃から語学力と国際感覚を培ってきたつもりだが,親の勝手な期待とは裏腹に,将来は「日本でずっと籠りたい」とのたまう。親としては,教育の真の効果は数十年しないと分からないという自らの経験と信念(思いこみ?)に頼るのみである。

 以上は個人の例であり一般化するつもりはないが,実際の経験から学校教育における不特定多数を対象にした「グローバル人材育成」の難しさは,実感として想像できる。だが,方向性がないわけではない。直接的には英語教育の充実や海外体験の促進であろうが,長期的に見るとそれ以上に考えるべきことは,教育方法の現代化である。ここであえて「現代化」という表現を使ったが,授業で知識を詰め込み試験でその再現性を評価する方法は,先進国の基準からすると半世紀遅れと言ってよい。新学習指導要領のスローガンとして「アクティブラーニング」(これもバズワードのひとつ)をわざわざ盛り込まねばならないことが,そのことを如実に物語っている。では,現代的ないし国際基準の教育とは何かというと,リテラシー(読み書き)だけでなく,コンピテンシー(汎用的能力)を育てる教育である。コンピテンシーとは,要は先にあげた「グローバル人材の4 C 」にあるような,母語以外での意思疎通力,知識活用力や多角的思考力,他者との協調協働力,様々なレベルでの貢献力のような複合能力で,俗に「ソフトスキル」と呼ばれることもある。そのような世界標準の知的基盤を備えることが,何よりのグローバル人材育成法である。現状ではそのような教育が希薄なために,例えば筆者の所属するロンドン大学に集まる各国からの学生と比べると,日本人の留学生はひどく内向的,消極的,非創造的に見えてしまう。
 日常の授業の中でコンピテンシーを育てる教育法として,21世紀の欧州で急速に広まった CLIL (クリル= Content and Language Integrated Learning ) と称されるアプローチがある。これは教科学習と英語学習を融合させる教育技法であるが,その最終目標はまさにソフトスキルの育成である。次回は,最近訪れたオーストリアの小学校での実例を紹介しつつ,日本の小学校英語活動における CLIL の活用を探ってみたい。

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