「切り返し(発問)やゆさぶり(発問)がよいと聞いていますが,難しくてうまくできません。どうすれば切り返しやゆさぶりが上手にできますか?」この質問は,私が指導主事時代に,訪問先の小・中学校の先生方から最も多く受けた質問の一つである。ここでは,道徳授業で重要とされている切り返し発問やゆさぶり発問について考えていく。
切り返しやゆさぶりとは発問の一種で,子どもたちの発言を受け,教師が即興的にあるいは意図的に行うものである。これらは,意図する内容を角度を変えて見つめさせたり,子どもたちの反応を焦点化して考えさせたりするための「補助発問」,あるいは,子どもたちが既に習得している成果なり,思考水準に対して,新しい次元での対立・矛盾・困難を創り出していく「否定発問」の一つとされ,授業に深みをもたらすものとして重視されている。またこれらは計画段階からどの場面で活用するか予め考えておくことが大切である。
子どもの発言が抽象的,観念的だったり,発言の理由や根拠が明確でなかったりする場合などには切り返し発問を活用し,できるだけ具体化させるようにするとよい。
どうして,ベンチに靴で上がってはいけないのですか?
人の迷惑になるからです。
「迷惑」の内容を具体化させる
迷惑ってどういうこと?もう少し詳しく教えてください。
ベンチが汚れたら,次に使う人の服が汚れて,気持ちが悪くなるからです。
さち子が本当のことを先生に言おうと思ったのはどうしてだと思いますか?
言った方がよいと(さち子が)考えたからです。
言った方がよいと考えた
理由や根拠を明確にさせる
どうして言った方がよいと考えたの?
言わないままだと,気持ちがもやもやして食べ物もおいしくないし,怒られても正直に言った方が気持ちもすっきりして楽になれるからです。
子どもの発言が建前的,観念的だと感じる場合には,ゆさぶり発問で新たな矛盾を引き出し,考えをゆさぶりながら,子どもの思考や認識を深めていくことが大切である。
「思いやり」について
改めて考えさせる
自分でできるのを待つのがよいと言うけれど,本当にそうですか?辛そうにしている友達に手を貸すのが思いやりではないのですか?
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手を貸すのも思いやりだけれど,この場合は手を貸さないのも思いやりです。
思いやりにも手を貸すものとわざと手を貸さないものとがあると思います。
子どもの思考や認識を深めるためには,子どもの発言の流れに応じて切り返し発問やゆさぶり発問を行い,既習の考えと新たに気付いた考えを比較・分析させたり,子どもの意見を対比させたりすることも大切である。
手を貸す場合と貸さない場合を比較させ,「思いやり」の本質について考えさせる
思いやりにも手を貸すものと手を貸さないものとがあるという意見が出ましたが,それらは思いやりとして同じですか?違いますか?皆さんどう思いますか?
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どちらも思いやりだと思います。
見た目は違うけれど,相手のことを思うという心は同じだと思います。
少し違うと思います。手を貸さない方が,すぐ手を貸すんじゃなくて,相手にはどちらがよいのか,たくさん考えないといけないから少し上の思いやりだと思います。
切り返し発問もゆさぶり発問も子どもの思考や認識を深めたり広げたりする重要な手法である。是非,授業で効果的に活用したい。特にゆさぶり発問は中心発問とセットで考えておき,子どもの発言内容に合わせてタイミングよく行う必要がある。また,切り返し発問は臨機応変に行う必要があるため,最初は「抽象的な発言」,「建前的な発言」,「理由や根拠が明確でない発言」にアンテナを張っておくようにするとよい。