道徳授業,こうすればできる!

比治山大学准教授 森川 敦子

道徳授業の“失敗あるある”~やってしまった経験はありませんか~

 ここでは,私自身が教師だった頃の苦い経験や指導主事として多くの小中学校を訪問した際に見聞きした「道徳授業の“失敗あるある”」の事例を紹介し,道徳授業の在り方について考えてみたい。

あるある事例1:

 授業前半に時間がかかりすぎ,展開後段で自己を振り返ったり道徳的価値について考えを深めたりする時間や終末の時間が不足し,授業の最後がおざなりになってしまう。

 道徳授業の場合,最も時間をかけるべきは中心発問や振り返りの時間である。にもかかわらず,このような事例は多くの教師が陥りやすいものの一つである。特に,公開授業など力を入れた授業であればあるほど陥りやすい事例ともいえる。しかし,これらは「導入」,「教材提示」,「発問数」の3つを見直すことで,そのほとんどが改善できると考える。

 まず,導入は1~3分以内に収めること。常に「短くて効果的な導入」を心がけるべきである。次に,教材提示の工夫である。道徳教材はあくまでもよりよい生き方について考えるための材料であり,教材文の読み取りや理解自体が目的ではない。したがって,一読した後に,文章の内容や道徳的課題がどの子どもにも理解できるような「子どもにやさしい」教材提示が求められる。そして,教材の山場における議論や振り返りに十分な時間をかけられるよう,中心発問には,遅くとも15分以内で辿り着けるようにしたい。そのためには,教師が範読前に予めイラストなどで登場人物や関係性を紹介したり,一読後には場面絵やテロップを活用して,教材の基本的な状況説明をしたりしながら,子どもが教材文の内容をしっかりと把握できるよう工夫することが大切である。これにより,展開の最初に行いがちな「この話には誰が出てきましたか?」,「どのようなことが起こりましたか?」などの発問や話の状況確認の時間も短縮でき,本題にスムーズに入ることができる。

あるある事例2:

 授業で子どもたちはよい内容の発言をするのだが,建前的なきれいごとのようで,深みや盛り上がりに欠ける授業になってしまう。発言も一部の子どもに偏りがちである。

 かつて私自身もそうであったが,このような悩みの背景として,実は教師自身が「建前的なきれいごと」を期待し,いわゆる正解発言を求める雰囲気を無意識に醸し出している場合が多い。「道徳」は人の生き方について考え続ける営みである。したがって,道徳授業のオリエンテーション時には,まず,「わかっているけれどなかなかできない自分」や「それでもよりよく生きたいと願う自分」を認め合い,子どもも教師も共に考え合う姿勢で授業に臨むことの大切さを確認しておく必要がある。

 授業では,子どもの本音が引き出せるような発問や場面を設定することが大切である。そして,子どもが一生懸命に考えた意見は否定せず,「なるほど,そのように考えたのですね」,「確かに,そのような考えもありますね」など,子どもの発言を受容的に受け止め,考えの理由や根拠を大切にする授業にしていく。また,子どもの考えや疑問に教師がすぐに答えるのではなく,「今のことについて他の人はどう思いますか?」,「似ている考えや反対の考え,別の考えはありませんか」などと問い返し,子どもたち自らが考えを深めたり広げたりできるようすることで,子どもの達成感も高まり,発言も増えていくのである。

あるある事例3:

 授業の進め方がついワンパターンになってしまい,子どもも教師も道徳授業に対するマンネリ感がある。

 道徳のように教材文をもとに進めていく授業は,教師の教材解釈で授業の流れが大きく変わる。多様な授業展開が可能な半面,個人の癖も出やすく,ともすれば授業もパターン化しがちである。また,1時間完結の道徳授業では,「導入」,教材文を基に展開する「展開前段」,自己の振り返りなどを行う「展開後段」,説話などによる「終末」と授業過程も定式化しやすい特徴がある。道徳授業のマンネリ化を脱却するための一つの方法は,「他の先生方に学ぶ」ことである。まずは,勤務校の同学年や学年ブロックの先生方の道徳授業に学ぶのが近道である。教材の提示方法や板書構成には,教師の教材解釈や個性が出るため,実際の授業を見せていただくのが一番である。授業見学が難しい場合は板書の写真を撮っておいていただくようにする。板書には教師の教材解釈が端的に表れているし,授業の流れと児童の反応が一目でわかる。あとは,板書を基に,場面絵,発問,発言などを確認し,参考になる部分を自分の授業に取り入れながら,授業の引き出しを増やしていくとよい。

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