『徒然草』五十一段は、「亀山殿の御池に」「亀山殿の水車」等の題名で教科書に載せられることが多い。御殿の池に水を引くために、大井川沿い(御殿の近くの土地)の住人に水車作りを命じたがうまくいかず、その後宇治の住人に作らせたところ良い水車ができたというエピソードを紹介し、「よろづに、その道を知れる者は、 やんごとなきものなり。」という兼好の感想で結ばれる段である。
教科書の注には、「宇治川沿いの地は、水車の多いことで有名であった。」といった内容が記されている。宇治に水車は、古典の世界での常識に属することになっているようだが、なぜ宇治に水車?という疑問から調べたのが以下の記述である。
群馬県 渋川青翠高等学校教諭 黒澤勉
A4判たて,16ページ
Word
doc/150.0KB
pdf/600.2KB
非会員の方は公開から一年を超えた資料は閲覧出来ません。会員登録をすると、全期間の資料を閲覧できます。