生徒には、テストなどの評価に囚われずに“自由に”小説を鑑賞してほしいと思う。しかし、“自由な読み”はトレーニングなしでは容易には身につかない。国語の授業で小説を扱う意味はそこにあると言えるだろう。では、授業で小説をどのように扱ったらよいのだろうか。何年教師を続けていても悩みは一向に尽きない。テーマの追究等の通常の学習過程がかえって生徒たちを作品鑑賞から遠ざけてしまっているのではないかというよくある指摘も、あながち間違いとも言い切れないのである。そこで、ここでは、生徒の自由で自主的な読みを促すために、安部公房の「赤い繭」を取り上げてみたい。
愛知県高等学校 A.K.