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中山道うとう峠で盗賊に襲われて命を落とした小田原宿の喜右衛門の霊を弔うため、鵜沼宿の世話役たちが作ったものである。喜右衛門がどんな人物であったかは不明。作られた年代は江戸時代後半と考えられている。この石碑の右側には「うぬまへ拾六丁」、左側には「太田へ壱里廿丁」と刻まれ、道標の役割も担っていたようである。
岐阜県各務原市 宮脇實也
写真、1枚
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