国語授業の思い出
作家 増田 みず子
2002年7月作成
私たち団塊の世代の学生時代は、いわゆる創造的な能力をのばす授業というものはほとんどなくて、生きていくための社会的な知識としつけを学校教育で受けるというイメージが強かったように思う。
学校では社会的、公的なものを習うという意識があった。だから国語の授業で小説や詩などを習っても、それは何となく社会的に認められた、公的かつ伝統的な芸術作品であるという、幼い独りよがりが先にたって、自由に鑑賞するのではなく、正しい鑑賞の方法を学ばされるのだと、私などは勝手に思っていたようだ。今思うとふしぎなくらいに、子供のころの私の頭は硬くて古くさく、自由とはほど遠かった。
作家 増田 みず子