[本文より] 新しい世紀に入って希望が膨らむのと反対にさまざまな不安材料が日本の国を駆け巡っている。新聞が取り上げている「学力が危ない」もその一つだ。偏差値教育を是正せねばと必死になって努力してきた結果が何故このようなことになってしまうのであろうか。また,各地で開催された成人式では私語の氾濫,携帯電話をかけどおしの若者たち,クラッカーを知事に向けて爆発させるなど,価値観の多様化などと言ってはいられない身勝手な行動が報じられた。儀式と宴会の余興の区別もできない若者を育ててきてしまった社会の責任は重い。戦後,焼け野原となった町の一角を耕し,芋づるをかじって飢えをしのいだあの頃の日本人は「理想とする生活」を夢見てがむしゃらに突っ走り頑張ってきた結果,気づいた時にはこのような情況になってしまっていたのだ。一足飛びに膨張した経済成長が日本全体を歪めていることは確かである。これらの問題の根は深いが解決の糸口は新しい視点で教育全体(学校教育と情報化社会・地域社会を含めた社会教育)を考え直す以外に方法はないだろう。このように現状をとらえ,今後の教育の在り方を考えた時,創造性の育成を旗印としてきた造形教育は学校教育に新風を吹き込むことのできる教科としてその特性を発揮して欲しいところである。
共立女子大学 榊原肇